ティルソン・トーマス指揮ロンドン響のバーンスタイン「オン・ザ・タウン」(1992.6Live)を聴いて思ふ

レナード・バーンスタインの2つの側面。
いろいろな意味で彼は旺盛な両刀遣いだった。

しかし、レナードのほうは精神分析医といつまでもつきあうこととなった。ジェローム・ロビンズをはじめとして友人や同僚のうちの何人かが、当時アメリカでは珍しかったフロイト派の心理療法を受けていた。バーンスタインの状態は複雑だった。ホモセクシャルの傾向が強かったが、男性にも女性にも魅力を感じていた。職業のことで反対されていたうえに、こうした性向を父親に知られたらさらに激しい怒りをこうむったことは間違いない。それに加えて、バーンスタインはさらに地位を高めることを望んでいた。しかし、仕事の面で成功したら、いつでもどこでも気の向くままにセックスの楽しみにふけることができなくなるのではないかということが、不安の種にもなった。
ジョーン・パイザー著/鈴木主税訳「レナード・バーンスタイン」(文藝春秋)P139

バーンスタインの、特に晩年の音楽の濃密加減は、肉体が衰え行く中、内面にたぎるパッションを抑え切れず、ギリギリまで溜め込んだうえで爆発することから生じたものだったのだろうか。父からの抑圧、あるいは師からのプレッシャー、・・・。

1944年作曲のミュージカル「オン・ザ・タウン」の成功は、何よりバーンスタインの音楽の力によるところが大きい。

しかし、クーセヴィツキーだけはバーンスタインの才気に不安を感じ、ボストンの試験興行のあとで自分が指揮を教えた生徒を何時間も叱りつけた。もっとシリアスなもの、つまりヨーロッパを志向して努力しなければならないときにショウなどで時間をつぶすことを厳しく非難したのだ。
~同上書P144-145

彼の後の人生を知る者には、たとえ師であろうとクーセヴィツキーの言葉が実にナンセンスであることがわかる。音楽に境界もなければ貴賤もないのである。

後年(1981年)、バーンスタインは「オン・ザ・タウン」について次のように語っている。

おかしくて、気楽で、風刺的です—が、ひどく皮肉っぽいものではありません。構成という点からも、参加者全員の協力という点からも、芸術的要素の統合という点からも、非常にシリアスなショウでした。主題は軽いものですが、ショウはシリアスなものです。こう言えば、私たち全員の気持を代弁できると思います。つまり、オリヴァーが初めて私たちのところに来たとき、私たちが心配したのは、「オン・ザ・タウン」が軽々しく受け取られるのではないかということでした。私たちは大勢の恩師の影響を受けています—クーセヴィツキー、ルシア・チェイスをはじめ多くの人びとが、シリアスな作品をつくるように導いてくれました。シリアスというのは、ブロードウェイ的ではないという意味です。というのは・・・ブロードウェイのショウは、当時はとても水準が低かったからです。私たちがつくりあげたのは、時代を戦時中にとった感動的な楽しいショウであり、気分は軽いが芸術としては非常にシリアスな作品です。
~同上書P145

言葉の裏に垣間見える自信と確信。
演奏が素晴らしければ、魂がこもっていれば、人々に与える感動は、何ものにも代え難く、また他と何ら一切変わることはない。

・バーンスタイン:ミュージカル「オン・ザ・タウン」
サミュエル・レイミー(ピットキン&第1の労働者&アナウンサー、バス)
カート・オルマン(チップ、バリトン)
トーマス・ハンプソン(ゲイビー、バリトン)
デヴィッド・ギャリソン(オジー、ヴォーカル)
マリー・マクローリン(アイヴィ・スミス、ソプラノ)
タイン・デイリー(ヒルディ・エスターハージー、ソプラノ)
フレデリカ・フォン・シュターデ(クレア・デ・ルーン、メゾ・ソプラノ)
クレオ・レーン(ナイトクラブの歌手、ヴォーカル)、ほか
ベティ・コムデン(ナレーション)
アドルフ・グリーン(ナレーション)
ロンドン・ヴォイセズ
マイケル・ティルソン・トーマス指揮ロンドン交響楽団(1992.6Live)

ティルソン・トーマスのバーンスタインへの愛。また、音楽の力のすごさ。
確かにここには尋常ならざる愉悦があり、同時に、芸術的なふくよかな香り漂う精神性がある。
クラシックを歌うフォン・シュターデは素晴らしいが、ミュージカルのフォン・シュターデの歌も絶品。例えば、第2幕”Some Other Time”でのクレアの歌唱の美しさ。

 

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