ヴァント指揮ケルン・ギュルツェニヒ管 ブルックナー 交響曲第8番(ハース版)(1971.10.3Live)

時代の一歩も二歩も先を行く人を天才だというのだと思う。
(その意味では同時代にはまるで振り向かれることはない)
アントン・ブルックナーは、自身の作品に関し、同時代の大衆はおろか専門家にすら受け入れられることはないだろうと思っていたようだ。果たして彼は未来のために音楽を創造した。それから1世紀以上を経た今、彼の作品は世界中の至るところで演奏され、愛聴されている。

どうかオーケストラの望む通りになさってください。ただし、どうかスコアだけは変更なさらぬよう。印刷の際にも声部に手をお加えなさらぬよう。心からのお願いです。もしショットが出版を引き受けてくれるなら、望むところであり、嬉しい限りです。私と私の作品が世に認められるよう、閣下の多大な労力をたまわること、そしてなによりも、閣下の天才が私の慰めです。フィナーレの短縮はご承諾ください。でないと長過ぎるし、非情な不利益になるでしょう。
(1891年3月17日付、フェリックス・ワインガルトナー宛)
田代櫂「アントン・ブルックナー 魂の山嶺」(春秋社)P270

ブルックナーはやはり謙虚な人だった。フィナーレは長過ぎると作曲家本人が言うのだから冷静かつ客観的であり、時代の趨勢や空気をきちんと読めているところがすごい。
ちなみに、その前のワインガルトナー宛の手紙ではこうも書いている。

「第8番」はいかがですか、もう試演なさいましたか、どんな響きですか? フィナーレはそこに指示した通りどうぞ短縮なすってください。でないと長過ぎるでしょうし、この作品は後世にこそ通用するものであり、しかも友人たちや専門家のためのものです。テンポはどうかご自由に変更なさってください(それが明瞭さのために必要とあれば)。
(1891年1月27日付、フェリックス・ワインガルトナー宛)
~同上書P268

交響曲第8番はあの圧倒的フィナーレがあるがゆえの傑作だといえる。それも、すべてが一つに収斂されるコーダの圧倒的解放こそに傑作の傑作たる所以があるのだと僕は思う。

ギュンター・ヴァントが最初に(?)録音した(ライヴ)交響曲第8番のフィナーレがとにかく素晴らしい。後年のものももちろん名演奏揃いだが、若々しい、推進力に富むケルン・ギュルツェニヒ管弦楽団とのものは一線を画しているように思う。何しろ、コーダに至って俄然インテンポで、かつ堂々たる響きを以って終結に導いて行くのだから堪らない。おそらく一般にはいまだブルックナーが浸透していなかった時代にあって、何という確信に満ちた演奏をヴァントは披露していたのだろう。

・ブルックナー:交響曲第8番ハ短調(ハース版)
ギュンター・ヴァント指揮ケルン・ギュルツェニヒ管弦楽団(1971.10.3Live)

思わず2度繰り返して聴いた。
確かに音質は50年以上前のライヴ録音ということもあり、軽い。しかし、演奏そのものは作品の本質をとらえ切っており、実に重い。

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