「まず第一に、もし夫を満足させたいならば、新妻は料理と家事ができなければならない・・・次に、新妻はすぐに大旅行なぞしてはいけない。それどころか、健康に気をつけなければいけない、とくにこれまで未来の夫のために1年中働き、献身的に尽くしてきた新妻は・・・第4に僕たちはたくさん散歩しよう。僕は君に子どもの頃僕が殴られた場所はすべて教えてあげよう・・・第8に、作曲はすべて僕がし、君は演奏する」
(1839年3月16日付クララへの手紙)~「女性作曲家列伝・小林緑編著」
こんな関白宣言のような手紙をロベルト・シューマンが愛するクララに送ったことは前にも書いた。お陰でクララはその才能を封印してしまうことになるのだが、ネットでいろいろと調べているうちあるサイトで次のような文章を発見した。
「この結婚よりも以前に、二人は共有するノートに、曲を付けられそうな詩を書き留め始めたが、ロベルトはクララの才能に深い信頼を寄せ、1839年6月のクララへの手紙で『僕達ふたりの名前で沢山の作品を発表しよう』と述べている。
結婚後間もなく、ロベルトはフリードリヒ・リュッケルトの詩集『愛の春』に曲を付けることを考え、その作業にクララを誘った。そして作曲されたのがこの作品12の2つの歌曲とロベルトの作品37である」
この矛盾、どういうことなのだろう。今のところシューマンの書簡類そのものを読んでおらず、全て2次的資料からの抜粋なので正確さには欠けるのは確かだから、少し勉強する必要があろう。
とはいえ、上記の「愛の春」、まるでJohnがYokoを誘って制作した“Double Fantasy”のようではないか。5年間の主夫生活を終え、ミュージシャンとして新たな出発を試みようとこのアルバムを発表した矢先John
Lennonは凶弾に斃れる。新しく始まる「第2の人生」を謳歌しようと前向きで温かい楽曲が収められたこの作品に、Yokoの楽曲はかつて異質に映っ
た。初めて聴いた時から「要らない!」と思った。
でも・・・、最近の考えは違う。この”Double Fantasy”はJohnとYokoのまさに共同作品なのである。YokoがいてJohnがあり、JohnがいてYokoがある、そのことを世の中にとにかく示そうとLennonは一生懸命だったのではないのか(しかし、やっぱり実際に耳にすると背筋が寒くなるのだが・・・笑)。
同じく、「愛の春」を聴くと、クララの才能がロベルトの「やる気」に火をつけたのではないのかと感じる。実際、クララの作曲した第2曲「あの方は来ました」など、ロベルト以上にロベルトらしい情熱的で激しい恋心が表現された傑作。こういう音楽を書かれた日には・・・、愛する妻とはいえども嫉妬を感じざるを得ないだろう。
シューマン:
・ケルナーの12の詩作品35
・「愛の春」作品37より
・愛の相聞歌(ミンネシュピール)作品101より
ナタリー・シュトゥッツマン(コントラルト)
インゲル・ゼーデルグレン(ピアノ)
シューマンの歌曲自体をじっくりと聴き込んだ時期が少ないので、これらの曲集について他と比較して云々することは無理。でも、久しぶりに聴いてみると意外に心に響く。作品が創作されたバックグラウンドをより詳細に知ったからだろうか・・・、やっぱり音楽を聴く上で時代背景や作曲家に起こった出来事、心理など理解しておくことは大事。
こんばんは。
ご指摘には同感です。
しかし、どうもこのごろ、私はロベルトとクララのことも、ジョンとヨーコのことも、私達の夫婦生活には、あまり参考にならないし関係ないという気持ちが強くなってきました。
妻が昨年毎回欠かさず楽しみに観て感動していたドラマがありました。
見逃してためていた録画を、外では雪が降って寒かった昨日、やっと私も観終わりました。原作本も読み終えました。
ゲゲゲの女房
http://www.amazon.co.jp/%E3%82%B2%E3%82%B2%E3%82%B2%E3%81%AE%E5%A5%B3%E6%88%BF-%E5%AE%8C%E5%85%A8%E7%89%88-DVD-BOX1-%E6%9D%BE%E4%B8%8B%E5%A5%88%E7%B7%92/dp/B003NDGC8U/ref=pd_cp_b_2
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B2%E3%82%B2%E3%82%B2%E3%81%AE%E5%A5%B3%E6%88%BF
私も止めどなく共感し、何度も涙しました。心が洗われる思いでした。
なぜこの実話に素直に心の底から感動でき、ロベルトとクララ、ジョンとヨーコのことを考えるとやたら疲れる自分がいるのか? 自分は女性の自立や社会進出に本音では無理解なままなのか・・・、ここは冷静な自己分析が必要だと思いました。
ナタリー・シュトゥッツマンのコントラルトは凄いですよね。あの低い声でシューベルトの「冬の旅」や「白鳥の歌」も名唱を聴かせてくれますからね。ご紹介のシューマン作品は彼女の歌唱では未聴ですが、あの声はシューベルトよりもシューマンにより合っているような気もしますので聴いてみたいです。
>雅之様
おはようございます。
「ゲゲゲの女房」は結局観れていないので、このテーマについては今のところ何も語れません。
しかし、「なぜこの実話に素直に心の底から感動でき、ロベルトとクララ、ジョンとヨーコのことを考えるとやたら疲れる自分がいるのか? 自分は女性の自立や社会進出に本音では無理解なままなのか・・・」という問題提起については、興味深い内容ですので時間をみて勉強したいと思います。
ナタリー・シュトゥッツマン、いいですねぇ。本当にあの低い声がたまりません。
ドラマ「ゲゲゲの女房」は、よく考えたら、原作者も脚本家も主役女優も主題歌のボーカルもみんな女でした。
つまり僕は、毎回ドラマを欠かさず観ていた妻も含め、女たちの掌の中で、いいように踊らされていただけ、というわけです。
改めて、女は偉大なり。
>雅之様
>つまり僕は、毎回ドラマを欠かさず観ていた妻も含め、女たちの掌の中で、いいように踊らされていただけ、というわけです。
なるほど!
まぁ、いいとしましょう!(笑)