プレヴィン指揮ロイヤル・フィルのエルガー交響曲第1番ほか(1985.7録音)を聴いて思ふ

エドワード・エルガーの交響曲第1番変イ長調。
ノビルメンテ・エ・センプリーチェ(高貴かつ簡素に)と指定されたモットー主題が、全楽章を通じて支配する、いわゆる循環形式の作品は、全4楽章がすべてアタッカでつながれた、単一楽章としての機能も兼ね備える名曲である。
大宇宙と人間との合一、すべてが一体であることを前提とする構えが、滔々と流れる大河の如く極めて美しい。

アンドレ・プレヴィンはついに今年90歳を迎える。1985年のこの録音は、彼が56歳の時のものであり、自然体でありながら艶やかな色気を感じさせる名演奏である。第1楽章アレグロ主部における序奏からのいわば変体は、ジャズ・ピアニストとして鳴らしたプレヴィンの、即興性の顕現のように思われる。

私は作曲家の仕事を、昔の吟遊詩人のようなものだと考えている。当時は人々の前へ行き歌で活気づけたりしたものだ。今、音楽で何かを祝いたい人がたくさんいることを私は知っている。私はそういう人たちのために作曲をする。
~水越健一「愛の音楽家エドワード・エルガー」P72

人々に元気と活力を与えることがエルガーの仕事だった。
第2楽章アレグロ・モルトについて彼は次のように言う。

川べりに下りた時に耳にする風に揺れる葦の音をイメージして演奏してほしい。
~同上書P88

彼がいかに現実的な人だったかが、この言葉から窺える。
パスカルの評した「考える葦」を想像させる謙虚な姿勢が、このスケルツォ楽章を貫く。
真骨頂は第3楽章アダージョ!初演者であり、また、この作品を献呈されたハンス・リヒターは、この楽章を評して「ベートーヴェンの緩徐楽章に匹敵する」と表現したが、何と的を射た言葉であることか。あまりの崇高かつ清澄な美しさに思わず感涙。
そして、解決の歌である終楽章レント—アレグロの、随所に聴かれるモットー主題の千変万化に天才を思い、うねり、旋律が複雑に絡み、時に激し、時に祈る音楽に魂まで揺さぶられるのである。

エルガー:
・交響曲第1番変イ長調作品55(1908)
・行進曲「威風堂々」作品39
—第1番ニ長調(1901)
—第2番イ短調(1901)
—第3番ハ短調(1904)
—第4番ト長調(1907)
—第5番ハ長調(1930)
アンドレ・プレヴィン指揮ロイヤル・フィルハーモニー管弦楽団(1985.7.2-3録音)

行進曲「威風堂々」は、有名な第1番はもとより、第4番が出色。やはり、この曲においても「ノビルメンテ(高貴に)」と指定された中間部のホルンによって朗々と奏される旋律が活気あり、美しい。

エルガーの原点はベートーヴェンであり、中でも交響曲第6番「田園」だそう。

特に強い興味を引いたのがベートーヴェンの《交響曲第6番「田園」》だった。この曲の持つ伸びやかな旋律美と自然の美しさを賛美するベートーヴェンの精神が、エルガーの生まれ育ったウースター地方の自然と相通じるものを感じ取らせたのかもしれない。エルガーが、野外で作品を作曲するようになった原点は、こんなところにあるようだ。「音楽は私たちを取り巻く空気の中にあり、好きなだけ取り出すことができる」とエルガーは語っている。
~同上書P12

素敵な言葉だ。

 

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