高橋アキの弾くザ・ビートルズ。
数多の世界的作曲家が、ザ・ビートルズの楽曲をピアノ用に編曲したアルバムは出色の出来栄え。
何年か前、武満徹の「弧(アーク)」を聴きに出かけたが、ステージには高橋アキの姿もあった。終演後にカーチュン・ウォンが客席に向かって武満の音楽を絶賛し、そして高橋アキと共演できたことの喜びを語っていたことが印象的だった。
多くの現代女性作曲家に編曲を委嘱し、新たに始められたハイパー・ビートルズ・プロジェクトだが、どの作品も単にザ・ビートルズの音楽をなぞるだけでなく、それぞれの作曲家の創意工夫に溢れ、見事だ。何より高橋アキの演奏が、透明感に満ち、静謐で、ジョンやポールや、そしてジョージが生み出した傑作たちに新たな命を吹き込む。
アルバムの劈頭を飾るのが、ポーリン・オリヴェロスによる”Norwegian Wood”。
私は音の中心となる性質と、その可変性に興味を持っています。これは直接的に私自身にも当てはまります。私は自分自身の身体における感覚として音を体験することで、音とつながります。自分の音楽を演奏する時にも、このことは起こります。エネルギーが流れ出て、オーディエンスまで届きます。オーディエンスは同じように音を体験して、それは戻ってきます。そのとき、先程お話したように、この身体性を通じて生じるつながりや感情の状態があるのです。それは、単に目が合うこと以上のことが、この交流において存在するのです・・・
—「American Mavericks」でのインタビューの中で、あなたがケージの《4分33秒》について話しているくだりで、非常に美しい一節があります。あなたの実践の中で、沈黙の役割について聞かせてください。
そうですね、そんなものは全くありません。この世が終わらない限りは! 私はどんな沈黙も経験したことがありません。単に相対的なものです。
—沈黙は相対的なのですね。
沈黙は相対的なものであって、絶対的な沈黙は存在しません。
~ハンス・ウルリッヒ・オブリスト著/篠儀直子・内山史子・西原尚訳「ミュージック―『現代音楽』をつくった作曲家たち」(フィルムアート社)P194
それは、陰陽二元世界の常識。その中にいると、世界がプラス・マイナスのバランスで成り立っていることを忘れがちだが、この相対性を優れた感覚で音化し、そして実践するのがポーリン・オリヴェロスの方法なのである。
冒頭からその圧倒的な美しさに刺激される。
武満徹の”Golden Slumbers”は、楽想が一旦分解、再統合され、いかにも彼らしい浮遊感と前衛性(?)に染まった名編曲(マッカートニー×武満!)。西村朗の”Because”も、一聴それとはわからない、旋律を細かく分断しての興味深い編曲。いずれもザ・ビートルズへの愛に溢れていることは間違いないだろう。
しかしながら、最高なるはやはりカイヤ・サーリアホによる” Monkey Fingers. Velvet Hand”だろうか。”Come Together”を伴奏に”Happiness Is A Warm Gun”を重ねたとっておきの逸品(これぞレノン×サーリアホ!!)。
カイヤ・サーリアホは残念ながら昨年6月2日に癌のため永眠した。享年70(早過ぎる!)。
9年前にサーリアホのオペラ「遥かなる愛」の本邦初演を演奏会形式で聴いた。素晴らしかった。
掉尾は坂本龍一による”Aki 2.2”。10分半近くに及ぶ、坂本のザ・ビートルズへのオマージュの心に染み入る「遥かなる愛」。