16日の多治見での「愛知とし子ピアノリサイタル」は 250名以上ものお客様にご来場いただき、盛況のうち終了した。ピアニスト本人は諸々の点で反省はもちろんあるようなのだが、ミスタッチなどのトラブルが当然あってこそのライブなので、そういう細かいことは横に置いておくとして、純粋に一聴衆として客観的に判断してみてとても優れたコンサートであったと思う。あえて一つ付け加えるなら、少々「お話」が長すぎる印象を僕は持ったが、一般のお客様方にはあの「しゃべり」も好評だったようだから、プログラム全体として捉えると、やはり愛知とし子ならではの演奏会になったのだろう。
昨晩も録画ビデオをプレイバックしてみたのだが、思った以上に本当に良い。当日右手後方の位置で全曲をしっかり聴かせていただいたが、いつものように本人以上に緊張していたせいか、上の空で(笑)、細かい点の記憶が正直あまりない。特に、前半最後の「英雄ポロネーズ」あたりから演奏者の「苦悩」(笑)が手に取るようにわかり、居ても立ってもいられなかった。とはいえ、このポロネーズは(瑕は少々あったものの)コーダなどは後半最初の「テンペスト」同様、愛知とし子の持つ「前のめりの推進力」、「未来に向かっての意志力」を感じさせてくれるような演奏で、彼女の本領というのはまさに「前に向かって進む大いなる力」を表出する音楽で発揮されるものなのだということがあらためてわかったことが収穫であった(まぁ、裏返せば「せっかち」な性格という表現にもなるかもしれないが(笑)・・・)。僕はもともと重厚でゆっくりとしたテンポの演奏を好んで聴いてきたのだが、この頃はこういう「猛烈な動き」を伴ったキリッと締まった速目のテンポの演奏-そう、ムラヴィンスキーやカルロス・クライバー、あるいはシューリヒトに代表されるような即物的だが個性豊かな演奏が断然好きになっている。
それに、ベートーヴェンやブラームス、あるいはシューマンというどちらかというと暗鬱とした内燃するような妖気を醸し出すドイツ物を中心に「推進力」のある演奏を心がければ、愛知とし子の立派なライフワークとして成り立つんじゃないかと勝手に期待した次第である。
ところで、アンコールに「エリーゼのために」が演奏されたが、何とこれがことのほか良かった(やっぱり愛知とし子のライフワークはベートーヴェンであるということを再確認した瞬間でもあった)。ちなみに、この曲には最高の思い出がある。イーヴォ・ポゴレリッチが2007年1月の来日公演で(アンコールではなく)プログラムの1曲として採り上げたときの超名演奏!えもいわれぬ沸々と湧き起こる感動が昨日のことのように思い出されるのだ。彼の若き日の演奏は映像としても残っているが、2年前の演奏は、既に枯れた味わいを持つもっともっと深みのある超絶的な演奏であった。
ベートーヴェン
15の変奏曲のフーガ変ホ長調作品35「エロイカ変奏曲」
バガテルイ短調WoO59「エリーゼのために」
6つのバガテル作品126
6つのエコセーズWoO83
アルフレッド・ブレンデル(ピアノ)
僕はいかにも優等生的なブレンデルのピアノを必ずしも好まない。「エリーゼ」もポゴレリッチには遥か及ばないし、「エロイカ変奏曲」もハイドシェックの若き日の凄演の前にはあまりにも温過ぎる。しかし、どういうわけかこういう「耳に邪魔にならない」演奏(BGMには最高!)、音盤を時に聴いては癒されたいとも思うことが時折あるのである。
そういえば、そろそろブレンデルも引退という噂だが・・・(調べたらどうやら来月のコンサートをもって本当に引退らしい)。
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