新しき人生哉

mozart_pires_dumay.jpg新幹線で品川駅に到着するや、東京の空気の悪さにむせ返り、環境の悪さが一層身に染み入る。1週間ほど都会を離れると、いかに田舎の空気がきれいかがよくわかる。
お昼前、6日ぶりに帰京。

21日(火)の滋賀短期大学教養講座は、お陰さまで100名近くものお客様にご来場いただき、1時間ほどの短い講演ではあったものの、臆することなく岡本流「クラシック音楽の聴き方」を披露できたと思う(ただし、本当はもう少し詳細にお話したい箇所は多々あったが)。終了後、早速メールにて励ましとお礼の言葉をいただき、拙いながらもこういう活動がクラシック音楽人口の裾野を少しでも広げるための役に立てるのならば、僕自身も半ば趣味ながら頑張って講座をやっていけるかなと少々嬉しくなった。明後日の「早わかりクラシック音楽講座」も早20回目となることだし、今回は、僕が愛して止まない史上最高の名曲の一つであるJ.S.バッハのゴルトベルク変奏曲をいよいよ採り上げる予定でもあるので今から楽しみだ。

それにしても音楽行為というのは、演奏者と聴衆の直接的なコミュニケーションであることを痛感した。平日の午後一番の開催ゆえ、当日いらしていただいた方の多くはご年配の方たちで、「とにかくピアニストが何を伝えようとしているのか感じて聴いてください」と口を酸っぱくしてお伝えし、実演に触れることの重要性を何度もお話させていただいたので、後半の愛知とし子ミニコンサートの時には、皆様に「真剣に聴こう」という姿勢ができたようで、良い意味での緊張感があり、わずか30分という時間ながらとても「癒し」に満ちたコンサートになり、良かったと胸を撫で下ろした。マスカーニの「カヴァレリア」間奏曲、モーツァルトのキラキラ星変奏曲、バッハの「主よ、人の望みの喜びよ」、そしてショパンの幻想即興曲と英雄ポロネーズという名曲で構成された愛知お得意のプログラムは堂に入り、終演後の万雷の拍手が演奏の素晴らしさを如実に物語っているようだった。こういう機会を与えてくださった関係者の皆様に重ね重ね感謝いたします。とても勉強になりました。m(_ _)m

ところで、昨日の雅之さんのコメントで「おかちゃんの結婚」序曲を、という洒落た(笑)リクエストがあったが、「フィガロの結婚」はまたいずれ採り上げることにして、今流れているのはモーツァルトのヴァイオリン・ソナタ。それも、ヴァイオリンのオブリガート付ピアノ・ソナタという標題通り、デュメイとピリスが対等にぶつかり合い(というよりむしろピリスが引っ張っている感じ)、高貴さと美しさの中に青年モーツァルトの悲哀を上手に表現した名盤。

モーツァルト:ヴァイオリン・ソナタ集
第25番ト長調K.301(293a)
第28番ホ短調K.304(300c)ほか
マリア・ジョアン・ピリス(ピアノ)
オーギュスタン・デュメイ(ヴァイオリン)

1778年、母親を伴った職探しのためのパリ・マンハイム旅行の折に書かれた6曲のヴァイオリン・ソナタ。厳しい父レオポルトから解放され、ひと時の自由を謳歌するヴォルフガングの作品はそれまで以上に「モーツァルトらしく」なる。どこまでも明るくどこまでも能天気な(?)モーツァルトの音楽にあってどこか得も言われぬ悲哀を感じさせる部分を持つ傑作。恋人であったアロイジア・ウェーバーとの失恋、そして最愛の母親の死という悲劇を相次いで体験する青年モーツァル
トの言いようのない悲しみの表現とでもいうのか・・・。

美しい浄化音楽だ。

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