「まだまだ」

bach_fugue_gould.jpg「俺は引退するには早すぎる」
齢93の朝比奈隆が入院中のベッドに横たわりながら呟いた最後の言葉である。朝比奈先生はロシア人指揮者エマニュエル・メッテルの薫陶を受け、専門的な音楽教育を全く受けることなく自身の最大限の努力により世界的指揮者にまで駆け上がった努力の人であった。その彼が座右の銘にしていた師からの言葉。
「一日でも長く生き、一回でも多くステージに立て」

「オーケストラ、それは我なり~朝比奈隆・四つの試練」(中丸美繪著)を読み、晩年、多くの音楽ファンの拍手喝采を浴び、自身の音楽というものを追及し続けていた朝比奈先生にも(当然ながらそういう姿しか知る由もない)、幼年時代の隠された真実、苦悩、逆境があったこと、そしてご子息の千足氏の言による「家庭では一般のイメージとは程遠いくらい厳しく無口な父親であった」という事実に少なからず衝撃を感じさせられた。ある意味、人間が自立、そして成長するためには、不安、失敗や挫折の経験こそが重要な要素になるのだろうと再確認した。

物事を習得する際、どれだけ地道に反復するかが大きな鍵となる。
以前も話題に挙げた駿台予備学校の名物カリスマ講師である表三郎氏の近著「問いの魔力」(サンマーク出版)には、何かについて「問い」を持つことの重要性が説かれている。過去の大哲学者、思想家の生き様や思考についてメスを入れながら、一人一人が「なぜ?」という自問を深めることにより多くの人の人生を素晴らしいものにできるほどの魔力があるのだと彼は主張する。そして、「問い」は逆境から生まれるもので、平々凡々、順風満帆な状況からは生まれ得ないと畳み掛ける。ゆえに失敗や挫折体験というのは重要なのだというのである。
大切なことは、人生の勝ち組に入るか、負け組みになるかではなく、「自身の問い」に対して粘るか粘らないかなのだと。頑張らなくてよいから諦めずに粘り尽くすことが重要なのだと表氏はいうのである。
彼は、学生たちからひと言書くよう求められると、必ず、「頑張れ」ではなく「まだまだ」と書くようにしているとのことだ。一理ある。

J.S.バッハ:フーガの技法BWV1080(抜粋)
グレン・グールド(オルガン、ピアノ)

何と前半9曲はかのグールドがパイプ・オルガンを弾いているという代物。相変わらずグールド節満点のエキセントリックで刺激的な演奏。後半はピアノによる演奏が7曲採り上げられているが、こちらも明らかに彼のバッハ。録音自体が未完に終わったことが至極残念。

ところで、死を目前に控えたバッハが「フーガの技法」を書き上げながら、考えていたことはどんなことだったのだろう?時代の流行や世間の嗜好を全く無視し、最晩年のバッハは自らの内に沈潜していくかのような創作活動に没頭していくわけだが、これほどまでに研ぎ澄まされ、そして厳粛で、しかも謎に包まれた音楽は他にない。グレン・グールドは「フーガの技法」を指し、「鮮やかな色彩を避け、代わりに薄い灰色が無限に続く。・・・私は灰色が好きだ」と述べたということだが、J.S.バッハが古今東西の偉人同様、自らへの「問い」を粘り強く続けた結果、限りなく純白に近づくことだという「答え」を出しながらも息絶え、この作品が未完に終わったことを、彼のこの言葉が言い当てているように僕には思える。そして、それは、わずか50歳で亡くなってしまったグールド自身にも言えることではないか?彼は最晩年にバッハの諸作品を再録しながら何を思い、何を問うたのか・・・?

朝比奈隆、J.S.バッハ、そして、グレン・グールド。いずれも「問いの魔力」に引き込まれ、「問いを深めていくという厳しい道程を生きることを選択し、知を深めるという喜びを感じ、世に問うた芸術家たちなのではないか・・・。

※19日は結婚式、21日は滋賀短期大学での公開講座に出席のため、23日まで実家に帰省します。この間ブログの更新は滞ってしまうかもしれません。

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