ベートーヴェンが同時代で最も尊敬した音楽家は、ルイジ・ケルビーニその人だ。
ベートーヴェンは「もしレクイエムを書けといわれたら、ケルビーニの曲だけを手本にしただろう」と言ったといわれる。ケルビーニの音楽は確かに実直かつ堅牢な構成で、一方また見事に風光明媚な歌謡に満ち、ことのほか美しい。
1823年3月、「ミサ・ソレムニス」完成直後、ベートーヴェンはケルビーニ宛手紙を送るが、果たしてそれが本人の手元に届いたのかどうなのかは定かでない。
尊下!
お手紙でお近づきになれる機会を得、欣快の至りです。歌劇では、あなたの御作品を他のどの作家のものより大切に思っておりますので、心の衷ではいつもあなたとお近づきになっているのです。少なくもわがドイツでは、久しくあなたの新しい歌劇は一つも紹介されておりません。芸術界のため遺憾に堪えません。真に芸術を解する者には、あなたの御作品は非常に高く尊ばれておりますのに、あなたの偉大な魂の新しい所産が一つも舞台に登らぬということは芸術にとって本当に大きな損失であります。真の芸術は不滅であり、真の芸術家は偉大な魂の所産には心からの歓びを覚えるものであります。貴作品が新しく制作されたと聞くたびに、わたしも歓喜し、自分の作品以上に大きな関心を寄せるのです。—何と言っても、わたしはあなたを尊敬し愛しております。—ただ、この絶えざる病弱から免れて、パリでお目にかかれ、芸術についてあなたと語り合うことが出来たら、喜びの極みでありましょう!—もう一つ申し上げておかねばならぬのは、芸術家や芸術愛好家とあなたのことを話します時は、わたしはいつも熱狂し語るのです。これを申し上げておかぬと、これまで書きましたことは、あなたにお願いがあるので、ただその前口上に申し上げたとしかお信じにならぬと思います。わたしがそうした卑しい考えの者ではないとお思い下さると、わたしは希望し、また確信いたすものであります。
(1823年3月15日の少し前、ルイジ・ケルビーニ宛)
~小松雄一郎編訳「新編ベートーヴェンの手紙(下)」(岩波文庫)P99
確かに前置きは少々くどい。しかし、ベートーヴェンの、ケルビーニに対する尊崇の念、本気の想いがこれほど伝わる前口上が他にあろうか。
かくしてベートーヴェンは本題に入る。
お願いとは次のことであります。わたしは唯今大きな荘厳なミサを完成しました。そして唯今のところ、印刷にして公にしようとは考えておらず、ヨーロッパの宮廷に送りたい考えでおります。ですから当地のフランス大使館を経て、フランス国王陛下にも御予約賜るよう御勧誘状を差し上げました。あなたの御推挙が得られましたら、陛下には必ず御応募下さると信じております。(以下仏文で)窮乏にあえぐ現状では、これまでの如くわが希求をただ天にのみ向けてはおられず、反対に生きるため地上に向けることが要求されております。(以下独文に返り)お願いいたしました件、如何様になりましても、あなたをいつも御尊敬申し上げます。
~同上書P100
当時、ベートーヴェンはよほど経済的窮状にあったのだということが、大事な箇所をフランス語で認めていることからもよくわかる。実際、フランス国王ルイ18世は「ミサ・ソレムニス」の予約者となり、1824年2月、ベートーヴェンに金メダルを送っている。
それに関し、ケルビーニの協力があったのかどうかはわからない。
ベートーヴェンは当然ケルビーニのミサ曲を参考にしただろう。
壮大で、また開放的で、それでいて魂にまで安寧が届くような音調の「ミサ・ソレムニス」。
「キリエ」の静謐な美しさは言語を絶する。「グローリア」も「クレド」も、音楽的空間的拡がりは超逸品。ただそれでも僕のイチオシは、「サンクトゥス」以降。かの楽聖のミサ曲とはもちろん態を異にするが、「ベネディクトゥス」を経て「アニュス・デイ」に至る「時間」(形ではなく)の相似性、すなわち深遠なる信仰心は細密に同期し、それゆえ僕はそこに感応し、嘆息するのである。何という絶品。
ちなみに、ベートーヴェンの葬儀にあたって2回の追悼ミサが開かれたそうだが、1回目にはモーツァルトの「レクイエム」が、2回目にはケルビーニの「レクイエムハ短調」が演奏されたという。