
お前は、人はパンのみにて生きるにあらず、と反駁した。だが、お前にはわかっているのか。ほかならぬこの地上のパンのために、地上の霊がお前に反乱を起し、お前とたたかって、勝利をおさめる。そして人間どもはみな、《この獣に似たものこそ、われらに天の火を与えてくれたのだ!》と絶叫しながら、地上の霊のあとについて行くのだ。お前にはわかっているのか。何世紀も過ぎると、人類はおのれの叡智と科学との口をかりて、《犯罪はないし、したがって罪もない。あるのは飢えた者だけだ》と公言するようになるだろう。《食を与えよ、しかるのち善行を求めよ!》お前に向かってひるがえす旗にはこんな文句が書かれ、その旗でお前の教会は破壊されるのだ。お前の教会の後には新しい建物が作られる。ふたたび恐ろしいバベルの塔がそびえるのだ。
~ドストエフスキー/原卓也訳「カラマーゾフの兄弟(上)」(新潮文庫)P637
傲慢な人間の我欲をへし折らんと天は動く。
現代は「天人合一」が可能な時代だ。
絶対的な真理の流れに沿うことを、抗わず流れに乗ることを僕たちはせねばならない。
東京クヮルテットのベートーヴェン作品130&作品133(2008.8-9録音)を聴いて思ふ 終楽章大フーガのあまりの難解さに、出版社たるアルタリアは、差し替えをベートーヴェンに求めたという。1826年9月末から11月半ばのこと。死の半年前のことだ。
St-Qua. 晩年第5作、最後のヘ長調(Op.135)の完成を目前にして、変ロ長調(Op.130)の差し替えフィナーレ(第6楽章)(最後の創作)作曲に向かう。
※フィナーレを差し替えるよう提案したのはこの作品の出版社となるマティアス・アルタリアか?
~大崎滋生著「ベートーヴェン 完全詳細年譜」(春秋社)P513
新たな終楽章は、これまた大歓喜の中にある傑作だ。
(今となっては何も差し替える必要はなかったと思われるが、後世の僕たちにとって一粒で2度美味しい作品130)
聴覚を失ったベートーヴェンの神性に、ますます磨きがかかる。
この時期の、ガリツィン伯の委嘱による弦楽四重奏曲のあまりの深遠さ、そして革新性と後の作品になればなるほど純粋さと透明さを獲得してゆく神々しさに言葉がない。
(人間が創造したものとは思えぬ美しさと高貴さ)
すべての人間的情感を抑えた、中庸の解釈は、東京クヮルテットの真骨頂。
あえて言葉にするのも無駄なことに思えるほど完璧な音楽が、天から聴こえてくるようだ。
(終楽章大フーガ直前の第5楽章カヴァティーナ,アダージョ・モルト・エスプレッシーヴォはそれこそ天上の調べ)
世界の大原則は因果律。
今や新たなバベルの塔を建ててしまった人類に、一条の光となる「道」が降る。
済渡され、聖者となった天才ベートーヴェンに随えよ。
