ソコロフ ベートーヴェン アントン・ディアベリのワルツによる33の変奏曲ハ長調作品120(1985.6.13Live)

ベートーヴェンは《ディアベリ変奏曲》に”Variationen”ではなく”Veränderungen”と記しているが、この標語自体は”variation(n)”に代るドイツ語として用いられたものであるが、しかしここでわざわざこの標語が採られているのは、そこに含まれる、むしろ「変容」(存在の顕れの場=様態を移し変えてゆくこと)が意図されているからであろう。なおバッハの《ゴルトベルク変奏曲》にも”Aria mit verschiedenen Veränderungen”と記されている。
(丸山桂介)
作曲家別名曲解説ライブラリー3「ベートーヴェン」(音楽之友社)P468

単なる変奏でないことは聴けばすぐわかる。
それこそ人間が年老いてゆく過程の変化などというレベルのものではなく、ときに何が本になっているのかがわからないほど変容をし続ける音楽の奥深さ、森厳さ。これは肉体が死滅し、霊性が昇華されるときの変化に近いもののように思われる。
ベートーヴェンの人生というより、何万年もの間、彷徨い続けた魂が遂に解答を見出し、霊性の故郷に回帰する、その過程を(意識せず)表現したものなのではないか、そんなことを僕は考えた。

フォルム豊かなイタリアから形態のないドイツへ帰国し、私は晴朗な空を陰鬱な空と取り替えなければならなかった。友人たちは、私を慰め温かく迎えてくれる代わりに、私を絶望に追いやった。はるか彼方の、ほとんど未知の事物にたいする私の感激、私の苦悩、失われたものへの私の嘆きは彼らを侮辱するように見えた。私を支持してくれる人はなく、私の言葉を理解する人はいなかった。この苦しい状態にどう対処したらいいのか、私はなすすべを知らなかった。窮境はあまりにも甚だしかったので、外的感覚はそれになじむことができなかった。すると精神がめざめ、みずから代償することを求めた。
過去2年間、私は絶え間なく観察・収集・思索を行ない、私のすべての素質を完成しようと努力した。恵まれたギリシア国民が自国の圏内で最高の芸術を発展させるためどのようなやり方をしたのか、私はある程度まで洞察することができたので、全体を徐々に概観し、先入見のない純粋な美的享受にいたる希望がもてるようになった。さらに私が認識できたと思ったのは、自然が生きた形成物を、すべての人工物の模範として、いかに法則的に生み出すかということであった。3番目に私が研究したのは、諸民族の風俗であった。そこで学ぶことができたのは、必然性と恣意、衝動と意欲、進行と抵抗の出会いからいかに第3のものが生じ、それが芸術でも自然でもなく、同時に両者であり、必然的かつ偶然、意図的かつ盲目ということであった。私は人間社会を理解した。

木村直司編訳「ゲーテ形態学論集 植物篇」(ちくま学芸文庫)P208-209

ゲーテの天才は宇宙のしくみとその真理を確かに見抜いていた。
不足は「一点」だけだったことがまたわかる。
一方、楽聖ベートーヴェンは死して「一点」を得る。
果して何が違ったのか?

ベートーヴェンの様態は、晩年に進むにつれより「空(くう)」へと近づいていった(その真象は利他性だろうか)。
変化を敏感にキャッチし、それと対応するかのように自身の心、精神をより高次のものに転換していった。
だからこそピアノ音楽の集大成たる「ディアベリ変奏曲」は”Veränderungen”でなければならなかったのだ。

グリゴリー・ソコロフを聴いた。
グリンカ記念レニングラード国立アカデミー合唱団ホールでのライヴ録音。
ソコロフ、当時わずか35歳。
信じ難いほどの透明感。
そして、ほぼミスのない恐るべきテクニック。
33すべての変奏が、これほどまでに多様に、かつ複雑に、しかし常に相応しく演奏される様子は、ほとんど人間業とは思えないもの。
(ウゴルスキ同様恣意的でありながら必然的な表現にもかかわらず両者は対極の演奏を示す)
(涙が出るほど感激した)

ウゴルスキ ベートーヴェン アントン・ディアベリのワルツによる33の変奏曲ハ長調作品120(1991.5録音)

・ベートーヴェン:アントン・ディアベリのワルツによる33の変奏曲ハ長調作品120
グリゴリー・ソコロフ(ピアノ)(1985.6.13Live)

1819年5月頃までにベートーヴェンは第23変奏までを書き上げ、一旦作曲を中断、続いて「ミサ・ソレムニス」の作曲に向かう。この神韻縹緲たる音楽の意思には、「第九」以上に「ミサ・ソレムニス」の影響が伺われる。そして、ソコロフの演奏には、「ミサ・ソレムニス」に通じる強い意思が随所に垣間見られる。
(ウゴルスキのそれが哲学的深遠さをもつものなら、ソコロフのそれはもっと解放的な、拡張されたものだ)

ゼーダーシュトレーム ヘフゲン クメント タルヴェラ クレンペラー指揮ニュー・フィルハーモニア管 ベートーヴェン ミサ・ソレムニス(1965.9-10録音)

主題はむしろ単調な、しかし構造的にはきわめて豊かな可能性を内包したものであり、外見の単調さと内実の複雑性(それはまた、ベートーヴェンの晩年の諸作の主題に共通する特徴でもある)が、ベートーヴェンの創造意欲を掻き立てたものと思われる。なお全曲はいくつかのグループに分れるが、バルトークの《ミクロコスモス》を手がかりに、その変奏様態を分類したKennzeichnung der Satzart (nach dem Vorbild in Bartóks “Mikrokosmos”)ウーデのグループ分けを例にあげておく。
作曲家別名曲解説ライブラリー3「ベートーヴェン」(音楽之友社)P469-470

1.発展群 第1変奏-第10変奏

2.コントラスト群 第11変奏-第20変奏

3.スケルツォ群(第24変奏はトリオ) 第21変奏-第28変奏

4.フィナーレ群 第29変奏-第33変奏

コメントを残す

このサイトはスパムを低減するために Akismet を使っています。コメントデータの処理方法の詳細はこちらをご覧ください

アレグロ・コン・ブリオをもっと見る

今すぐ購読し、続きを読んで、すべてのアーカイブにアクセスしましょう。

続きを読む