
目に見えないものを扱う難しさ。
目に見えないものを言葉にする厳しさ。
語彙の少なさ、あまりの多様性のなさに呆れるくらい。言葉にできないのだけれど、いつの間にか耳を奪われる音楽の凄さ。
現代音楽の何がそれほどに魅力なのか。
特に、ピエール・ブーレーズの手にかかると、「理解」を超え、胸に迫る「何か」が宿る。ブーレーズは一つの現代作品を舞台にかけるのに信じられないくらいの練習を自らにもオーケストラにも強いるのだという。
ある演奏者はある時間までしか練習できないのに、別の演奏者はその時間からしか時間が取れないのだ。その結果細分化した、断片的な練習を行うことになり、さまざまな困難を積み重ねつつ、まさに遅すぎる唯一の集合場所である総稽古に至るのである。もちろん当該部分に捧げられる表現によって奇跡を起こすことはできるが、英雄たちは疲弊し、熱意がいっさいの痛手を和らげるわけではないと気づくのだ。
~ヴェロニク・ピュシャラ著/神月朋子訳「ブーレーズ―ありのままの声で」(慶応義塾大学出版会)P105
心身の、また時間の犠牲の上に彼の音楽は成立しているということか。
ならば、確かに厳しいはずだ。
フランコ・ドナトーニ(ドナトーニについては総領弟子であった杉山洋一氏の文章に詳しい)が、ブーレーズとアンサンブル・アンテルコンタンポランに献じた作品。「贈り物」の煌く喧騒が脳みそについて離れない。
そうして、ピエール=ローラン・エマールの奏するジェルジ・リゲティのエチュード。
白熱の音符。けたたましく音が連打されると思いきや、鎮静した、安心の時。エマールの弾くピアノの音とは乾いているのだけれど、妙に瑞々しい。コンサートで聴いたメシアンも、アンコールで聴いたブーレーズのノタシオンもそうだった。
なお、一層素晴らしいのが、三重奏曲。打鍵激しいピアノの上をヴァイオリンが高音でかき鳴らされ、ホルンが咆える様に慄然とする。いや、興奮というのか、冒頭から何て幻想的なのだろう。エマールのピアノが鍵だ。
2007年、アンサンブル・アンテルコンタンポランはこうして30周年を祝うことになった。その総括は説得力に満ちている。31名の独奏者と5名の音楽監督が2000回のコンサートを開き、また600名の作曲家のピアノ小品が演奏されたが、これによってこの間にある程度多様なプログラム編成を組むというアイデアが得られたのである。ほかにも、2097もの作品が演奏され、349回のツアーが行われ、230作品が録音され、445作品が世界初演され、そのうちの206作品が委嘱作品であった・・・。
~同上書P107
恐るべし。