目の前に降って起こる出来事はすべて意味があるのだろうか?ビジネス的に考えたら、どう考えても「左」だろうというときに、いややっぱりこれは「右」にすべきだと直感が働く場合、「常識」に従うか「直感」に従うかついつい悩んでしまう。「常識」が必ずしも正しいわけではないから余計に・・・。結局は自身の直感に従った方が正しいのだろうということは経験則でわかっているものの、そこは人間、どうしても弱いところ。要は誰か他人の後押しが欲しいのである。賛同が多ければ多いほど進みやすくなる、決断しやすくなる。ところが、他人の意見を参考にしようにも、一般的には「常識的な道」を選ぶ人が大半だから、これまた参考にはならない。自分を信じるということだけなのかな・・・。
またバルトークでも聴いてみようかと、ムターの演奏するヴァイオリン・ソナタ第2番を取り出した。随分長いこと棚の奥にしまってあった。おそらくほとんどまともに聴かずに埋もれていた、そんなような不遇な音盤である。何しろ収録の楽曲がマイナーだから。そんなCDをなぜ買ったのかといわれれば、当時はムターの録音が出れば何でも購入していた、そんな時期だったから。その手の音盤は数多いが、久しぶりにじっくりと聴いてみると、自分自身が年をとったこともあるのだろうか、10何年前に感じたことより、より多くの情報が得られることが面白い。
年をとるって素晴らしい。経験が増えることで音楽に対するアンテナの方向が変わるし、またキャッチする範囲も広くなる。
バルトークを聴くつもりが、ペンデレツキがムターのために書いた「メタモルフォーゼン」に俄然釘づけになった。1992年~95年にかけて作曲されているこの音楽は、調性感が顕著で、その意味ではとてもわかりやすい、とっつきやすい作品。繰り返し聴くうちに、モノが何もないところから生まれ、形を徐々に変
え、そしてまた露と化してゆくその様が見事に表現されており、すべてが諸行無常であることと、目先のつまらないことにいちいち杞憂することに対する馬鹿らしさを教えてくれる。
ところで、バルトーク。第2ソナタはほとんど初めてといって良いくらい・・・。作曲者が最も「無調」に接近した時代の産物だが、これがまた実に面白く聴ける。シェーンベルクの無調時代の作品とはこれまた趣を異にしており、バルトークがあくまでハンガリー民謡の影響下に音楽を創造していることが垣間見えるのだ。ムターの洗練されたヴァイオリンの音が花を添えているが、想像力を自由に羽ばたかせてくれるあたりが何とも素敵・・・。EL&Pはこのあたりのバルトーク作品にも十分影響を受けてるな・・・。
おはようございます。
人の行く裏に道あり花の山
・・・・・・株式投資の格言といえば、何をおいてもまず出てくるのが、このことばである。投資家は、とかく群集心理で動きがちだ。いわゆる付和雷同である。が、それでは大きな成功は得られない。むしろ他人とは反対のことをやったほうが、うまくいく場合が多いと説いている。
大勢に順応すれば、たしかに危険は少ないし、事なかれ主義で何事によらず逆らわないのが世渡りの平均像とすれば、この格言、多分にアマノジャク精神に満ちている。だが、人生の成功者はだれもやらないことを黙々とやってきた人たちであり、欧米では「リッチマンになりたければ”孤独”に耐えろ」と教えるのが通例。人並みにやっていたのでは、人並みの結果しか得られないというわけだ。
株式相場は、上げばかりでもなければ、下げばかりが続くこともない。どこかで転機を迎える。その転機を、どうしたらつかめるか。四囲の環境や材料から続み取るのは、むろん大切なことだが、大勢があまりにも一方へかたより過ぎたときなどには、この格言を思い出すことだ。
これと類似の格言に「友なき方へ行くべし」「相場師は孤独を愛す」などがあり、ウォール街にも「人が売るときに買い、人が買うときには売れ」(Buy when others sell; Sell when others buy.)「株というものは高いときには最上に、安いときには最低にみえるものだ」ということばがある。
また、徳川時代の相場格言にも、さすがに同じ意味を説くものが多い。順不同だが、以下に列挙してみよう。
万人の気弱きときは米上がるべきの理なり。諸人気強きときは米下がるべきの種なり。(三猿金泉秘録)
弱気の理、世に現われ出ればみな弱気、何時にても買いの種まけ。(同)
万人が心に迷う米なれば、つれなき道へおもむくがよし。(同)
万人が万人ながら弱気なら、のぼるべき理をふくむ米なり。(同)
千人が千人ながら強気なら、くだるべき理をふくむ米なり。(同)
野も山も皆一面に弱気なら、阿呆になりて米を買うべし。(同)
万人が万人ながら強気なら、たわけになりて米を売るべし。(同)
万人があきれはてたる値が出れば、それが高下の界(さかい)なりけり。(同)
いつとても買い落城の弱峠、こわいところを買うが極意ぞ。(同)
いつとても売り落城の強峠、こわいところを売るが極意ぞ。(同)
向かう理は、高きを売りて安きを買う。米商いの大秘密と知れ。(同)
米だんだん下げ、人気も揃い弱く、何程下がるも知れがたく、わが考えも弱かるべしと思う節、心を転じ買い入れるべきなり。この思い切り、海中に飛び入る心持ち甚だ成しにくきものなれど、その節疑いの気を生ぜず買うべし。きわめて利運なり。下げと見込むとき、思い入れの通り下がるものなれば心易きものなれど(わけはないが)、人気下がると片寄るときは、かえって上がるものゆえ考えに及ばざるなり。上げも同断。すなわち海中に飛び込む心持ち、極意なり。(宗久翁秘録)
十人が十人片寄るときは決して(必ず)その裏くるものなり。(同)
米弱みにみえ、しきりに売り気進み立ち候節、気転じ買い方につくべし。きわめて利運なり。ぜひ上ぐべしと買い気進み立ち候節、これまた気を転じ売るべし。(同)
わが思い入れをみだりに人に話すなかれ。他の了簡聞くことなかれ。(相庭高下伝)
・・・・・・(以上 日本証券業協会 証券教育広報センター サイトより)
>バルトークがあくまでハンガリー民謡の影響下に音楽を創造していることが垣間見えるのだ。
ヴァイオリン協奏曲第2番もそうですが、バルトークくらい有能な作曲家なら、12音を使っても、ちゃんと調性感のある音楽に消化できるってことですね。時流に乗りつつも、全然自分を失っていないということ。
そして、真の天才作曲家が前衛の極限を知ると、逆らって(岡本さんがいつも馬鹿にしている)大衆芸能(民族音楽)の方向に回帰してしまうという面白さ。
ムターもそうですが、ギトリスもそのことをしっかりと教えてくれます。
ギトリスの芸術より、
・バルトーク:ヴァイオリン協奏曲第2番
ホーレンシュタイン(指揮)ウィーン交響楽団
・バルトーク:無伴奏ヴァイオリン・ソナタ
http://www.hmv.co.jp/product/detail/65918
技巧的にも最高水準で、音楽的にも超弩級、かつ個性豊かな、ごく一握りの演奏家で聴けば、こうした作品はちっとも退屈せず面白く、かつ強い感銘を受け、ちっとも難解ではないのです。
上記音盤と、先日ご紹介しましたギトリスの下の音盤(ヴァイオリン名曲集ア・ラ・カルト)
http://www.amazon.co.jp/%E3%83%B4%E3%82%A1%E3%82%A4%E3%82%AA%E3%83%AA%E3%83%B3%E5%90%8D%E6%9B%B2%E9%9B%86%E3%82%A2%E3%83%BB%E3%83%A9%E3%83%BB%E3%82%AB%E3%83%AB%E3%83%88-%E3%82%AE%E3%83%88%E3%83%AA%E3%82%B9-%E3%82%A4%E3%83%B4%E3%83%AA%E3%83%BC/dp/B000PGTE7E/ref=sr_1_1?s=music&ie=UTF8&qid=1297201689&sr=1-1
は、私の中では等価です。
真理とは、意外に非常識の中にも隠されているものです(笑)。
>雅之様
こんにちは。
見事なコメントありがとうございます。
奥深いです。
>時流に乗りつつも、全然自分を失っていないということ。
>真の天才作曲家が前衛の極限を知ると、逆らって(岡本さんがいつも馬鹿にしている)大衆芸能(民族音楽)の方向に回帰してしまうという面白さ。
おっしゃるとおりですね。僕は大衆芸能を決して馬鹿にはしておりませんが・・・。
>真理とは、意外に非常識の中にも隠されているものです
同感です。