人に「気づき」を与えるという仕事柄、そしてたくさんの人たちの素の姿を垣間見てきた体験上、最近になってつくづくと実感する生き方の真髄。自分自身ができているわけではないので、決して偉そうに語るつもりはないのだが、これが自然にできるようになれば「御の字」どころか尊敬に値するポイントがある。要は、自分が何をするために生まれてきたのかという「軸」を自分自身の信念に従って明確にし、ぶれることなく地に足をつけることが一つ。そして、一旦「軸」を定めたら、意識は他者に向けて「思いやり」をもって行動するということがもう一つ。言い方を換えるなら、「他者と比較するのではなく自己評価のものさしをしっかりともち、世のため人のために動く」ということか。口でいうのは容易いが、身をもって為すとなると並大抵ではできない。世の中見渡すと実は逆パターンの人が多い。すなわち、人と比べてばかりで自信がなく、常に軸がぐらつき、意識はいつも自分に向けて、自分のためにしか動かない人々(余裕がないと自分自身もこういう状況に陥ってしまいがちだ)。
人から評価されるためにかっこうばかりをつけ、そのものの本質がいい加減になってしまったら元も子もない。
ブルックナー:交響曲第4番変ホ長調「ロマンティック」(改訂版)
ハンス・クナッパーツブッシュ指揮ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団
悪名高きレーヴェやシャルクによる改訂版での大演奏!何と、僕が30年前に初めて触れたブルックナーの第4交響曲は、このクナ盤とフルトヴェングラーのロンドン盤のLPレコードだった。両盤とも改訂版での演奏だが、これが普通にブルックナーだと思って聴いていたのだから(特に第4楽章の変容ぶりには吃驚!)、知らないということは恐ろしいことである。当時は、朝比奈御大の録音した第7交響曲の聖フローリアンLiveの影響から、流麗で美しい旋律を持つブルックナーの音楽(ある一面だが)に一途にのめり込んでいた時期で、いくつかの音楽誌をみて、第7と匹敵するほどメジャーで理解しやすい楽曲が「ロマンティック」交響曲だということを知り、早速20世紀を代表する両巨頭の名録音である音盤を購入し、針が擦り切れるほど聴いていたのである。今となってはオーケストレーションの極端な変更や大幅なカットなど聴くに堪えない部分も大いにあるが、それでも高校生の時はブルックナーの作り出した音楽に身も心も焦がされ(笑!大袈裟!)、寝ても醒めてもブルックナーという時期だったゆえ、原典版だろうと改訂版だろうと全く意にも介さなかった。
いずれにせよ、弟子であったフェルディナント・レーヴェやフランツ・シャルクに悪気があったわけではないことがせめてもの救いか(ブルックナーの本質からは極めてかけ離れた音楽になってしまっているが、彼らは恩師の名作をより大衆に理解しやすく、かっこうをつけようと単に化粧を施したようなものだから)。
このクナッパーツブッシュの音盤を聴く限り、最悪に改変された音列の中から、不思議にもブルックナーの「心の叫び」が聴き取れる瞬間があるのだから、形がどうであれ、ブルックナー・ファンならば一度はしっかりと聴いておかなければなるまい。
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