ピエタリ・インキネンのシベリウス・ツィクルスⅢ

少なくとも1900年代のシベリウス、つまり第3交響曲をリリースした頃のシベリウスの興味は極めて個人的なものに尽きたのではないかと僕は思う。アイノラ荘に居を構え、あくまで自身の内面と対峙することを欲した大作曲家の以降の人生は、大自然との密接な関わりと同時に近しい人々との深い交わりによって成立していたのだとあらためて実感した。

先週に引き続きふみ君に急遽お誘いを受けた。ピエタリ・インキネンのシベリウス・ツィクルスだという。断る理由がなかった。

日本フィルハーモニー交響楽団第649回東京定期演奏会
ピエタリ・インキネンのシベリウス・ツィクルスⅢ
2013年4月26日(金)19:00開演
サントリーホール
シベリウス:
・交響曲第3番ハ長調作品52
休憩
・交響曲第6番ニ短調作品104
・交響曲第7番ハ長調作品105
江口有香(コンサートミストレス)
菊地知也(ソロ・チェロ)
ピエタリ・インキネン指揮日本フィルハーモニー交響楽団

ともかく圧倒的な楽曲の素晴らしさ。いわば隠遁以後のシベリウスの作品は八百万の音楽だ。神々が宿る。大自然の声が響く。そして、そこに住まう人間や動植物の呼吸までもが聞こえるのである。
インキネンの演奏は基本的に楽譜に忠実に、何の仕掛もなく淡々と進む。オーケストラの瑕、特に金管群の問題は大いにあるのだけれど、指揮者の意志に従って熱心に音楽に取り組むオーケストラ・メンバーの真剣な姿が印象的だった。おそらくそれはコンサートミストレスである江口さんの力量に依るのだろう、一生懸命の姿勢が心を打った。

第3交響曲で作曲家は最初の「悟り」に足を突っ込んだよう。しかもアイノへの愛に満ち充ちる。第1楽章は人々の喜びの表現。第2楽章は大自然の音化。さらに終楽章は人間の自然への感謝と一体化。なるほど、とすればこれはシベリウスの「田園」シンフォニーだ。
15分の休憩を挟み、後半。何と6番と7番が連続で演奏された。なるほど、見事な演出。あれでこそ第7交響曲の意味が一層深くなる。このシンフォニーは「宇宙」そのものだ。一切の妥協なく、まったくの無駄のない、すべてが包括されたコスモスが音となって僕たちの前に現れる。それは、どんな指揮者のどんな演奏だって基本的に変わらず現出する、途轍もない音の塊なのである。しかも、瞬間の旋律の美しさ、クライマックスに向けての音の振幅の無限が僕たちの心を鷲掴みにする。

それにしても聴衆の最後の拍手喝采の下品さよ。
最後の音が鳴り止むやすぐさま拍手を送るのは止めようと。シベリウスの後期のシンフォニーは「浸る」音楽、残響を味わい、静寂を味わう、「空(くう)」の音楽なのだから。

そんなことを思った。
クラシック音楽の素晴らしさを再確認するここ数日。
多くの方に伝えたい。
あらためてそんな意志が芽生える。


1 COMMENT

コメントを残す

このサイトはスパムを低減するために Akismet を使っています。コメントデータの処理方法の詳細はこちらをご覧ください

アレグロ・コン・ブリオをもっと見る

今すぐ購読し、続きを読んで、すべてのアーカイブにアクセスしましょう。

続きを読む