
ハンス・クナッパーツブッシュが最晩年にウェストミンスターに録音したワーグナーの管弦楽曲集。この、色気のない、デッドな響きから醸される、音楽の細部までもが容易に見通せる演奏の呪縛に僕はしばらくの間苦しんだ(?)。クナッパーツブッシュのこの録音以外受け付けなかったのだから。今でも永遠の、他の何ものにも代え難い演奏であるとやっぱり僕は思う。
ともかく大学時代、バイロイト詣でを繰り返していたことはまちがいない。ジークフリート・ヴァーグナーからの自筆のはがきが残っている。消印の日付は1910年1月15日。当時ケルンにいたクナッパーツブッシュに宛てられたものである。
最後の本稽古に居合わせていただければと思います。このはがきを、監督のオットー氏に見せてください。きっと快諾してくれるでしょう。敬具。あなたのジークフリート・ヴァーグナー。
すでにジークフリートと面識があったわけだが、この文面からして当時はまだ助手として働いていたわけではなく、稽古を見学させてもらうていどだったのではないか。むろんそれだけのことでも、クナッパーツブッシュにとってはかけがえのない経験となっただろう。
~奥波一秀著「クナッパーツブッシュ―音楽と政治」(みすず書房)P28
若き日のクナッパーツブッシュのワーグナー体験は、実に強烈な印象に満ちている。人生のすべてをワーグナーの芸術に捧げたといっても言い過ぎでないほどの大きな影響がすでにあったのだ。
後年、彼は次のように述懐している。
バイロイトでは、ほとんどありとあらゆる偉大な芸術家たちと出会えましたし、ヴァーンフリート荘でも生涯忘れがたい印象を得ることができました。1912年の記念碑的な《マイスタージンガー》上演の後、ハンス・リヒターは去ることになったのですが、このときのことはとくに後々まで記憶に残りました。総じて、この天才的な人物や、ムックのような人が、芸術家としての私の成長に強い影響を与えたのです。
~同上書P28-29
何と強烈な体験なのだろう。
どの音楽も、渋い音質ながら隅から隅まで異様なほどの光を放ち、堂々とした佇まいで僕たちの感性を刺激する。中でも「ジークフリート牧歌」の、決して柔らかくない、剛毅な印象が、逆にクナッパーツブッシュの老練の棒の凄さを喚起し、内なる慈しみと歓喜を表現するその様子に、今の僕は感動する。そして、トーマス・マンが絶賛した歌劇「ローエングリン」第1幕前奏曲の神々しさよ(外面はごつごつとしているのだが)。
だが、まあ、「ローエングリン」ならがまんできます—その前奏曲はおそらく彼が書いたもののなかでももっとも驚嘆すべきものであり、青味がかった銀色の美しさをもっている点で私が相変わらず心からもっとも好きな作品です—それは、接するごとにますます深まる真の永遠なる青春の愛をもった作品です。
(1949年12月6日付、トーマス・マンからエーミール・プレートリウス宛)
~トーマス・マン/小塚敏夫訳「ワーグナーと現代」(第2版)(みすず書房)P221
言葉がない。