デュ・プレ バレンボイム指揮ニュー・フィルハーモニア管 サン=サーンス協奏曲第1番(1968.9録音)ほかを聴いて思ふ

鬼神の乗り移るサン=サーンス。
一体この流麗で可憐な作品が、どうしてこうも激しく劇的に響くのか。
まるでエルガーの協奏曲のように深い悲しみに包まれる音。彼女の演奏は、いつどんなときも、また、どんな作品を選択しても一聴彼女のものだとわかる音がする。不思議だ。

ジャッキーは本質的に自然を愛し、雨に濡れながら歩くのが大好きで、シンプルな中に幸福を見出す、洗練されていない典型的な英国のカントリーガールだった。また、怖いもの知らずに見えるのは仮面にすぎず、本当は恥ずかしがり屋で、マスコミの注目を浴びたり、自分を線でしなくてはならないことをひどく嫌っていた。
ヒラリー・デュ・プレ/ピアス・デュ・プレ著/高月園子訳「風のジャクリーヌ—ある真実の物語」(ショパン)P286

姉ヒラリーの回想には、ジャクリーヌの本当の姿が映し出される。あの壮絶な演奏には、それこそ自然体の、天とつながる活気が秘められているようだ。一方のダニエル・バレンボイム。

ダニエルは反対にジェット機で移動の連続の超多忙な生活が完全に性に合っていた。豪華ホテルの居心地のよい世界でハバナ葉巻をふかし、スタイリッシュな服に身を包み、クオリティーの高い生活を満喫していた。
~同上書P286

その後の活躍を見るまでもなく、彼が音楽家として大成するのは演奏技術だけでなく、こういう性質であったがゆえだということがわかる。二人はまるで水と油の関係だったにもかかわらず、驚異的な名演奏を残した。

音楽の面では、ふたりはお互いを引き立てあうパーフェクトなコンビだった。ふたりにはテクニック上の問題はなく、ジャッキーの抑制のきかないほとばしる情感は、ダニーがうまく応えてコントロールしていた。ふたりの個性的な演奏には、聴いた人は忘れることのできない生気溢れる自発性があった。
~同上書P287

正反対の性質であるがゆえの補完と協調。それは奇蹟的な化学反応だったということだろう。

・シューマン:チェロ協奏曲イ短調作品129(1968.5.11&9.7-8録音)
・サン=サーンス:チェロ協奏曲第1番イ短調作品33(1968.9.24録音)
ジャクリーヌ・デュ・プレ(チェロ)
ダニエル・バレンボイム指揮ニュー・フィルハーモニア管弦楽団

シューマン晩年のチェロ協奏曲は、おそらくサン=サーンスも規範にした作品だろうが、例の躁鬱症の影響が少なく、3つの楽章が一体となり、実に音楽的で美しい作品。若きジャクリーヌの演奏には、気迫がこもり、情熱的。特に、僕は短い第2楽章の詩情豊かな音楽からアタッカで終楽章に移行する一瞬のチェロの瑞々しい、生気溢れる音に惹かれる。

1966年2月、21歳になったばかりのジャッキーは、ムスティスラフ・ロストロポーヴィッチのもとで学ぶためロシアへ旅立った。当時38歳のロストロポーヴィッチは、影響力の強い精力的な演奏家だった。一度、彼は何を学生たちに教えたいかと聞かれたことがあった。そのとき、こう答えたそうだ。
「私は学生たちに真に音楽を愛することを教えます。私は自分のレパートリーの中に特別好きな曲というのはありません。そのとき弾いている曲が、そのとき私の一番好きな曲でなくてはならないのですから。もし、弾いている曲が一番好きな曲でないとしたら、来ている人びとはきっとそれに気づくでしょう」

~同上書P225

無心であること、そして、愛すること。ロストロポーヴィチの言葉が素敵だ。
ジャクリーヌの演奏の芯にはロストロポーヴィチの教えが根づく。しかしながら、師から学んだすべてを独創的に自分の色に染めてしまうところがいかにも彼女らしい。

・・・プロ意識がここのキーワード。とにかく、ここにいる全員が練習にあけくれていて、その勤勉さは私に生まれてから一度も練習をしなかったのではないかと思わせるほど。Rはここ2週間留守だったの。彼のレッスンやコンサートの刺激なしでは、私は生きていけないわ。今、レッスンでは、ロココ変奏曲、シューマン、プロコフィエフの協奏交響曲とバッハを少しやっているの。あと30数回レッスンが残っているので、私の習いたい曲のリストを作ったわ。神様! ところでロシア語でカッコイイ男のことボッグっていうの。・・・
(ソ連留学中のジャクリーヌの家族に宛てた最初の手紙)
~同上書P227-228

半端ない熱量に感応し、録音から50年以上を経た今も屈指の名盤。

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6 COMMENTS

ナカタ ヒロコ

こんばんは。私はジャクリーヌ・デュプレが好きで、偶然今日このCDを聴いたので、びっくりしたりうれしかったりしたのでおじゃましています。なぜこのCDを聴いたかというと、ロストロポーヴィチ・ジュリーニのドヴォルザークの紹介が揚げられていたので聴いてみた流れでした。以前、バッハの無伴奏チェロ組曲1・2番をデュプレ他色々な演奏家(カザルス・シュタルケル・フルニエ・ヨーヨーマ・ロストロポーヴィチ)で聴き比べたことがありました。録音の影響もあるのかもしれませんが、ダントツで胸に迫るのはデュプレでした。なぜかわかりませんでしたが、ここに書かれているように、「気迫がこもり、情熱的」だったからかもしれません。21才でロストロポーヴィチに指導を受け、恋をしたらしいジャクリーヌ。ロストロポーヴィチの教えを根本にしながらも、英国カントリーガールの天然さが全開となり、聴いただけでわかる独自性が出ているのかもしれませんね。幼い時に自分が将来身体が動かなくなることを予言していたジャクリーヌ。若く生き生きとした女性であるはずのデュプレの演奏に、劇的なところや深淵な哀しみが感じられるのも不思議です。デュプレの葬儀に参列したロストロポーヴィチはどんな思いだったのでしょう。
 デュプレの演奏について大事な示唆を、ありがとうございました。

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岡本 浩和

>ナカタ ヒロコ 様

それはびっくり!奇遇です。デュ・プレの録音は本当にどれも絶品ですよね。若くして病に侵されたことが残念でなりません。

>幼い時に自分が将来身体が動かなくなることを予言していたジャクリーヌ。

この件は僕は初耳でした!(ひょとするとどこか書籍で読んだのかもしれませんが記憶にはないです)
やっぱりジャッキーは色々な意味で桁外れですね。
ありがとうございます。

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ナカタ ヒロコ

岡本 浩和 様

 予言のことは、お姉さんが聞いたこととして、「風のジャクリーヌ」に書いてあったと思っています。「8歳の時、大人になったら歩くことも体を動かすこともできなくなると姉に教えた」そうです。3歳の時、ラジオから流れるチェロの音を聞いて、「私、これが弾きたい。」と言ったのもスゴイですね。
 

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岡本 浩和

>ナカタ ヒロコ 様

確認したところP83にその件がありました。
もう20年も前に読んだきりでしたのですっかり忘れていました。
ありがとうございます!

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ナカタ ヒロコ

岡本 浩和 様

 20年も前に読まれていたとはすごいですね。
シューマンのチェロ協奏曲ですが、私も2楽章が素晴らしいと思います。デュ・プレでしか聴いたことがないのですが、ここで壮絶な美しさを感じます。ご紹介のシュタルケルでも聴いてみたいと思います。

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岡本 浩和

>ナカタ ヒロコ 様

はい。もはや記憶が定かでないのですが、発刊と同時に上映された映画も観たように思います。
シュタルケルも良いですが、デュ・プレの後だと失望するかもしれません・・・。

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