「愛」を感じよう

副島隆彦氏の講演会を聞いた。テーマは「ドル覇権の崩壊-その後を予測する」というもの。彼の著作は以前から面白く読ませてもらっているのだが、内容はいずれも過激だ。しかし、その予測はかなりの確度で的中しているゆえ侮れないどころか信憑性があるので、会員というか信者(?)からしてみると一種のバイブル的なものになっており、今日の講演会も日本青年館の中ホールがほぼ満杯だった。
しかし、その著作から想像させる「激性」はその人柄や話しぶりからは感じられない。どちらかというと「愛」がある。ゆえにファンが多いのだろう。

晩年、完全に耳が聴こえなくなったベートーヴェンが残した弦楽四重奏群。いわゆる「傑作の森」期の楽曲や残されたエピソードから我々がもつ「劇的」なベートーヴェン像とは隔絶し、内省的な、そして僧侶のような「アガペー(博愛)」を伴った彼自身の小宇宙が転化した人類の至宝ともいうべき音楽が記録されているのが特徴か。
そう、ベートーヴェンの紡ぎ出す音楽にも「愛」が感じられるのだ・・・。

ベートーヴェン:弦楽四重奏曲第15番イ短調作品132
アルバン・ベルク四重奏団

「リディア旋法による、病より癒えたる者の神への聖なる感謝の歌」と題された第3楽章は、特に感動的で「愛」に溢れている。とても好きな曲。
しかし、耳が聴こえないことである意味世間と隔離され、「自己」という世界と真正面から対面するとこんなにも「解脱した」音楽が書けるものなのかと、今更ながら楽聖ベートーヴェンには舌を巻く。まさに神の境地である。
後期ピアノ・ソナタ、ミサ・ソレムニスなどなどとあわせ、独り静かに耳を澄ませてほしい。

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