
霊妙なる序奏の響き。名演とされるウィーン・フィルとのスタジオ録音を凌駕する実演のマジック。フルトヴェングラーは息を凝らして佇む聴衆の心に感応し、グルックの音楽を精緻にドライヴする。主部の雄渾さは、ワーグナーの重厚な編曲に因るのだろうか、縦横に揺れ、魂を鼓舞する。そして、深沈たる風趣を醸すコーダの音調に心が動く。
プフィッツナーの交響曲が素晴らしい。割れんばかりの金管の咆哮は録音のせいもあろうが、あまりに壮絶だ。戦時中の作曲ゆえか、音楽は(ハ長調にもかかわらず)徹頭徹尾暗澹たる哀しみの様相を示す。この暗く熱い情感は、フルトヴェングラーならではで、その年5月に亡くなった作曲者を追悼する思念がどの瞬間も跋扈する。
ザルツブルク音楽祭の実況録音からの抜粋である「魔弾の射手」序曲は、吉田秀和さんが実際に実演を聴いたことで知られる名演奏。独フルトヴェングラー協会盤の音質は極めて鮮明で、最晩年のフルトヴェングラーの踏み外しのない(ある意味)悟りの境地たる解釈、それでいて白熱の演奏に、まさかこの4ヶ月後には逝去することになろうとは思えないもの。
「魔弾の射手」はフルトヴェングラー愛好の作品だったようだ。
このオペラを理解するためには、作品の本来の意図を読み取る能力が聴衆に望まれる。このオペラの世界、登場人物は、素朴な素直な直接的把握によってのみ真に理解される。この神秘に満ちた作品にふれて、国際政治や技術の時代に生きる罪に汚れた現代人は、無垢の恵みを新たに体験することができるのだ。
~フルトヴェングラー著/芦津丈夫訳「音と言葉」(白水社)
そして、同じくザルツブルク音楽祭での「フィデリオ」抜粋が(音がこもり気味だが)やはり素晴らしい。何より「レオノーレ序曲」の、いかにもフルトヴェングラーらしい重くデモーニッシュな表現の冒頭に感動、木管が旋律を奏でる瞬間の光が差すような一瞬の輝きが見事。フルトヴェングラーは間違いなくベートーヴェンを崇敬する。
なお、この独フルトヴェングラー協会盤には、2つのフルトヴェングラーの談話が収録されている。音楽の造形に比して、ゆったりとした語り口調がまたフルトヴェングラーの人間性を表わしているようで興味深い(ドイツ語を解しない僕には談話の内容が把握できない点が隔靴掻痒)。