アシュケナージ ハイティンク指揮コンセルトヘボウ管 ラフマニノフ第4番(1984.12録音)を聴いて思ふ

1927年3月18日、ピアノ協奏曲第4番ト短調初演。ニコライ・メトネルに献呈。
新聞雑誌には辛辣な言葉が並んだという。

「・・・新しい協奏曲は、完全に19世紀の遺物で、まるでチャイコフスキーが作曲したもののようだ・・・」、「メンデルスゾーンの流れ・・・」、「単調な取り扱い・・・」、「焦点がぼやけている・・・」、「シューマンの貧弱な亡霊・・・」、「・・・言っていることは沢山あるが、大事なことはなにもない」
ニコライ・バジャーノフ著 小林久枝訳「伝記ラフマニノフ」(音楽之友社)P377

およそ本人が再び神経衰弱に陥るような厳しい言葉たちだが、その哀愁は彼独自のもので、決して古びた、ありきたりの、前世紀の遺物ではないように僕には思われる。当時の、亡命先のアメリカ社会で彼が感じた祖国への郷愁と、現在の絶望感が見事に刷り込まれた傑作。

年を取るごとに、若き日の宝であった自信がますます衰え、満足できる仕事はますます少なくなってゆきます。受けきれないほどの契約は押し寄せてきますが、外面的な成功とはまったく別の、成功がはるか彼方だった若き日に感じていた、内的な満足感は失われてゆくようです。
(1930年、雑誌のインタビューで)
藤野幸雄「モスクワの憂鬱—スクリャービンとラフマニノフ」(彩流社)P234-235

真の幸福とは何かを考えさせられる言葉だ。
僕はラフマニノフの協奏曲第4番ト短調を聴くたびに、彼のこの言葉を思い出す。推敲に推敲を重ねられ、しかも幾度も改訂を施した音楽は、苦悩の色が濃い。

ラフマニノフ:
・ピアノ協奏曲第2番ハ短調作品18(1984.9録音)
・ピアノ協奏曲第4番ト短調作品40(改訂版)(1984.12録音)
ウラディーミル・アシュケナージ(ピアノ)
ベルナルト・ハイティンク指揮ロイヤル・コンセルトヘボウ管弦楽団

第1楽章アレグロ・ヴィヴァーチェは、頻繁に転調を繰り返し、音楽は憂愁満ち、隅から隅までラフマニノフ調。珍しくアシュケナージのピアノが反応するのか、実に想いのこもったもの。

わたしは、自分が生まれ、苦闘を続け、若き日の悲しみのすべてを体験し、ついに成功を築いた国を去らねばならなかった。現在、全世界はわたしの前に開けているし、どこへ行っても成功が目の前にあります。しかし、一つの場所だけがわたしに閉ざされている。それはわたしの祖国ロシアなのです。
~同上書P235

続く第2楽章ラルゴは、作曲者の祖国へのこの心情の告白なのだろうか、何とも重く切ない。しかし、それまでの彼の緩徐楽章同様透明でまた美しい。
そして、終楽章アレグロ・ヴィヴァーチェに見る、抑圧からの解放。繰り広げられる狂騒が、祖国ロシアの扉を開かんとする意志に貫かれているようだ。ここでもアシュケナージのピアノは無理なく自然体で、ラフマニノフの抒情を歌う。間違いなく名作。

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