雷雨のときに・・・

beethoven_kegel_6.jpg滝のような雨と恐ろしく近くで鳴り響く雷鳴。今年の晩夏はどうも異常気象で、信じられないほどの涼しさや、まるで梅雨に戻ったのではないかと思うほどの長雨と湿気の多さ。昨日の未明には東京は局地的な豪雨とびっくりするような雷が多発していたらしいが、僕は全く暢気で、音にすら反応せず熟睡していたようだ。

夕方からの渋谷での打合せから帰ってくるなり旧知のNから突然連絡が入り、飯でも食べませんかということになった。彼の奥様も合流し、新宿三丁目のとある居酒屋で3時間近く語り合った。傘も持たずに出掛けたのだが、気がつくと外はものすごい雨。しばらく店で時間を潰していたが、閃光が走り、今までの人生で聞いたこともないような雷が響くものだから、つい徒歩10分の場所ながら、出るタイミングをはかっていた(前にも書いたが、僕は生来の雷嫌いなんです・・・(苦笑))。
意を決して傘を借り、三丁目の駅まで歩き、ようやく家路についたわけだが、まるでティンパニの怒涛のロールのような激烈な音が地面を叩きつけるたびに、内心飛び上がっている自分がおり、それはそれで客観的に見てみると笑えるなと思いながら、無事我家に到着した。雷鳴の轟音を耳にしながら、ついつい昨日の宇宿さんのコンサートにおける斉藤伸江女史のティンパニの演奏を思い出した。

ベートーヴェン:交響曲第6番ヘ長調作品68「田園」
ヘルベルト・ケーゲル指揮ドレスデン・フィルハーモニー管弦楽団(1989.10.18Live)

ティンパニがまさに雷鳴、落雷を表現しているんだな、とほとんど初めてじゃないかと思うくらい実感させられた。それくらいに「強烈な自然の大きさ」というものを身体で感じた瞬間であった。第4楽章に「雷雨、嵐」という標題を持つベートーヴェンの「田園」交響曲。楽聖が作曲当時に聴いたそのままの音を今日の空は表現しているかのよう。それくらいに今夜はある意味芸術的なわけだから、結果この雨がもたらす恩恵はいかばかりのものだろうか。明日も雨だというが、明けて晴れ上がった時には途轍もない「癒し」が訪れるのではないかと期待しながら思いにふける・・・。

「田園」交響曲には不滅の名盤が目白押しである。フルトヴェングラー&ウィーン・フィル盤、ワルター&コロンビア響盤、ベーム&ウィーン・フィル来日公演盤、ムラヴィンスキー&レニングラード・フィル盤などなど。気分により聴きわけるが、今宵はケーゲルが自殺の1年前に来日した際のサントリーホールでの実況録音盤。「雷雨、嵐」も名演だが、何と言ってもその後に続く第5楽章「牧人の歌-嵐の後の喜ばしい感謝に満ちた気分」のコーダの「祈り」の寒気がするくらいの静けさはひょっとするとフルトヴェングラーを上回るのではないかと思わせるほどである。おそらく当日当夜、会場で生の音を聴き得た人にしかわからない「感動」があるはず。

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アレグロ・コン・ブリオ~第4章 » Blog Archive » 西洋が東洋にまさる唯一の芸術

[…] ベートーヴェン:交響曲第5番ハ短調作品67 J.S.バッハ:アリア~管弦楽組曲第3番 ヘルベルト・ケーゲル指揮ドレスデン・フィルハーモニー管弦楽団(1989.10.8Live) このコンサートの前プロであった「田園」交響曲についても、終楽章コーダのまるで憑依にあったかのような巫女的祈りのゾクゾク感を味わったことは以前にも書いた。第5交響曲についても独特の節回しとテンポ感が随所に活き、聴衆の熱狂的な拍手が当日の演奏の類稀さを象徴しているようで、ともかくその夜、現場にいなかった自分自身を相当悔やんだ。第5番の最後の和音が鳴り響くとき、ティンパニの一撃の一瞬のずれがこれまた妙に意味深く、そういう瑕もまた人間業を超えた何ものかが働きかけているように感じられる。 […]

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