身震いするほどの魔性と官能

そのすべてはもう以前から何度も繰り返し読んでいたものなのだけれど、吉田秀和氏のフルトヴェングラーにまつわる文章を集めた文庫本が河出書房から発売されたので、とりあえず購入して再読してみた。さすがに最晩年の巨匠の実演に何度か触れられているだけあり、ひとつひとつに大変な説得力があり、擦り切れるほど聴いてきたフルトヴェングラーの至芸のいくつかをあらためて聴いてみたくなった。

岡倉天心の「茶の本」の中の解説によると、天心が初めて渡欧した際、ベートーヴェンの第5交響曲を聴き、「これこそが西洋が東洋に優る唯一の芸術かもしれない」というような言葉を発したことは先日も書いた。彼は、同じくワーグナーにも相当のシンパシーを感じていたようだが、ベートーヴェンやワーグナーこそがフルトヴェングラーの最も得意としていた音楽で、古びた録音から聞こえてくるそれらの音たちに触れ、イマジネーションを働かせることで1954年当時のベルリンのティタニア・パラストにいるような錯覚に一瞬陥った・・・(その時おそらく、天心が持ったであろう同じような感動を味わったのではないか)。

以下、吉田秀和著「フルトヴェングラー」から抜粋
「私の印象に今でも鮮やかなのは、『トリスタン』の前奏曲で、彼の右手が拍子をとるのをやめて腰のあたりに低くおかれてしまっている一方で、左手が高々とまるで炬火でもかざすようにあげられる。それにつれて、百人を優に越すオーケストラのトゥッティが最高潮に達し、興奮の極に上りつめる。しかもしれが、ただの巨大な響きになるというのではなくて、“すすり泣く”のである。あるいは歓喜と苦悩の合一の中で、笑いながら泣くといってもよいのかもしれない。そうしてその響きに包まれる時、聴衆もまた、この永遠の恋愛の劇である『トリスタン』のまっただ中にいることになるのだ。」(P34)

こんな文章を読んで、フルトヴェングラーのワーグナーを冷静に聴ける人などいまい。

ワーグナー:
・楽劇「ニュルンベルクのマイスタージンガー」第1幕への前奏曲(1949.12.19Live)
・歌劇「タンホイザー」序曲(1951.5.1Live)
・楽劇「トリスタンとイゾルデ」第1幕への前奏曲&イゾルデの愛の死(1954.4.27Live)
・舞台神聖祭典劇「パルジファル」聖金曜日の不思議(1951.4.25Live)
・楽劇「神々の黄昏」ジークフリートの葬送行進曲(1949.12.19Live)
ヴィルヘルム・フルトヴェングラー指揮ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団

吉田先生が耳にした「トリスタン」とほぼ同時期の同曲の演奏がこの音盤の白眉。まさに笑い泣きのクライマックス!!身震いするほどの魔性と官能!!死の7ヶ月前の演奏とは思えないほどの生命力がほとばしる。

ところで、吉田先生のエッセーによると、1954年のパリで初めてフルトヴェングラーの演奏に触れた同じ会場には大岡昇平氏も同席されていたのだとか。その時の大岡氏の言葉がこれまた天心とは真逆で、人の感性の多様性と、芸術にせよ何にせよ、ひとつの「答」など存在しないんだということを象徴しているようで面白い。それにしてもここに聴く「トリスタン前奏曲&愛の死」や「聖金曜日の音楽」を実演に触れて貶す人もいるのだから不思議なものである。ワーグナーの音楽の中でもこの2つは特別なもので、フルトヴェングラーの演奏にも恐ろしいまでの魔性と崇高なまでの神性が息づいているのに。

以下、「フルトヴェングラー」からの抜粋。
「二晩目は別宮貞雄君ときいていたら、大岡昇平氏とばったり会った。終わって出てきたら、氏はお腹がすいたから何か食べたいというので、オペラ座の少し横のレストランに行った。パリのビフテキは硬くてくえないとか、いやパリではシャトーブリアンとか何とか名のついてないただのビフテキというのが一番悪い肉なんだとかいうような話をしながら、音楽のこともしゃべりあった。今きいてきたばかりの「ベートーヴェンの『第5シンフォニー』というやつはいつきいても退屈な曲だ」というのが大岡さんの説であり、この曲はヨーロッパ音楽の歴史を通じて最も代表的なよくできた、数少ない曲の一つであるというのが僕と別宮君の説だった。ヴァーグナー嫌いといい、この説といい、僕はスタンダリアンとしての大岡さんの首尾一貫した態度に大きな敬意を払いながら、カマンベールだったかをパンになすりつけて食べた。」(P20)

吉田氏の「スタンダリアンとしての」という部分が引っ掛かる。僕はスタンダールについては「赤と黒」や「パルムの僧院」という有名作のみ随分前にかじった程度で詳しくない。大岡氏の持論を理解する糸口が「スタンダリアン」という言葉にあるとするなら少々研究してみたいもの。嗚呼、時間が欲しい・・・。


2 COMMENTS

アレグロ・コン・ブリオ~第4章 » Blog Archive » 師走にワーグナーの楽劇は似合う

[…] 大岡昇平さんがベートーヴェンの第5交響曲に辟易し、ワーグナーが大嫌いらしいということをつい最近知った。それに対して友人の音楽評論家である吉田秀和さんはベートーヴェンの第5交響曲はいわゆる西洋古典音楽の模範とする一部の隙もない最高峰だと反論するのだが、そのやりとりが書かれている1954年のヨーロッパからの帰国直後の2人のエッセイを読み比べてみると、互いに言いたい放題ながらどちらにも「なるほど」と頷ける箇所があり、やっぱり人の感性というのは一律化できなく、様々なんだということが実感できる。 ただし、そんな大岡さんでも、「わが美的洗脳」というタイトルの芸術エッセイ集を読むと、10代の頃最初に衝撃を受けた音楽がベートーヴェンの第5シンフォニーだったことを告白されており、音楽に対しての趣味嗜好が随分変化するものなんだということもよく理解できて面白い。 […]

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アレグロ・コン・ブリオ~第4章 » Blog Archive » 信仰心

[…] ここ最近、合気道を始めたり、茶湯に興味を抱いて岡倉天心を読んだり、あるいはルース・ベネディクトの「菊と刀」を読み返したり、そしてまた西田幾多郎の「善の研究」を研究するのは、「日本の本質」というものを今一度深く追究したいと思っているから。そんな中で何年か前から発売されるたびに読んでいる松岡正剛氏の「連塾方法日本」シリーズがめっぽう面白い。そのⅢ「フラジャイルな闘い~日本の行方」も読みどころ満載。中で、9つの視軸による「日本の本来と将来をつなぐ日本流の視点」の示唆があるが、「多神多仏の信仰風土」という視点では次のように述べられている。 […]

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