プラッソン指揮ドレスデン・フィル ワーグナー 使徒の愛餐ほか(1996.5録音)を聴いて思ふ

リヒャルト・ワーグナーの秘曲集をひもとく。
確かに後年の諸作品にある毒は薄い。それでも、彼が類稀なる音楽的、否、マルチな才能の持ち主で、革新家であったことは自ずとわかる(ただし、幼少の頃のリヒャルトには、その萌芽はいまだ見られなかったそうだ)。

叔父の感化もあってか、少年は「詩人になる」ことを思いたち、シェイクスピアばりの「大悲劇」に取りくんだ。しかし大悲劇を書き上げたあと、ベートーヴェンがゲーテの『エグモント』のために作曲した音楽から強烈な感銘を受けて、自作にも音楽が必要であることを痛感し、今度は「音楽かになることを決心した」。彼は「ひとかどのもの」になるための道を踏み出していたが、その道がドラマと音楽を綜合する方向にむかう予兆が早くも現れたわけである。ただ、9歳のころ、ウェーバーから「きみも音楽家になるつもりかね」と訊かれたとき、母親が本人に代わって「この子に音楽的才能があるとは思えない」と答えたエピソードからも判断できるように、彼はその面では奥手だったし、大ぜいのきょうだいの中でただひとり正規の音楽教育を受けていない。ワーグナーが楽器の中でひと通り弾きこなせるようになったのはピアノだけである。
三光長治著「カラー版作曲家の生涯 ワーグナー」(新潮文庫)P19-22

リヒャルト・ワーグナーにあったのは、空想、すなわち想像力であり、また、文学的才能にひもづいた全体観だったのだろうと思う。それに、何より本物を見分ける審美眼。(血気盛んな)初期の作品群には、相応の魅力が充溢する。

ワーグナー:
・ファウスト序曲WWV59(1840)
・祝祭歌「陽は昇る」WWV68b(1843)
・ウェーバーの墓前にてWWV72(1844)
・ジークフリート牧歌WV103(1870)
・葬送の交響曲(1844)
・使徒の愛餐WWV69(1843)
ウィーン楽友協会合唱団男声合唱
ウィーン室内合唱団
ドレスデン・フィルハーモニー児童合唱団
ミシェル・プラッソン指揮ドレスデン・フィルハーモニー管弦楽団(1996.5.23-25録音)

俗物ワーグナーのいかにも俗的な側面が強調される音楽たち。ワーグナーの毒とは、すなわち形而上的聖なる側面を指すのだと僕は思うが、この頃のワーグナーの作品には、まさに本人の意識そのものが直接に転写されたような音楽が延々と続く。例えば、「使徒の愛餐」。一見敬虔な、しかし渋い無伴奏男声合唱が長々と続き、ようやく管弦楽が顔を出すのは終了間際。ただし、さすがにワーグナーの創造するオーケストラによるコラール風音楽は猛々しく、また神々しい。

ちなみに、ほぼステージでは披露されることのないであろう作品群の中にあって、「ジークフリート牧歌」の強力な癒しの力に安寧を覚えるのは僕だけか。何という名曲だろう。そして、ミシェル・プラッソンの底抜けに脱力の、自然体のワーグナーに感動。

神よ、今日という日に、どうか子供たちに喜びを与えたまえ。したたかに苦しんだ者は、もはや心の底から笑うことができない。とりわけ祝祭の人もなれば、人生はいかに悲しみにあふれているか痛感させられる。きっと、傷ついた心にいちばんふさわしいのは、現実から身を引くことでさえなく、知らず知らずのうちに月日が流れてゆくことなのだろう。神よ、わたしの愛するすべての人に祝福を、そしてわたしには遠からず、やすらぎを賜らんことを!
それからまもなくリヒャルトが感じてくれた喜びは、わたしのふさいだ気分を押し流してくれた。

(1870年5月22日日曜日)
三光長治・池上純一・池上弘子訳「コジマの日記1」(東海大学出版会)P530

リヒャルト・ワーグナーに乾杯!

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