先見は、一方でまた足枷になり得るのかもしれない。
ジャン・シベリウスの苦悩の源は、未来を見透かすことのできる眼力、あるいは創造力にあったのだろうか。
1907年にはモスクワも訪問し、スクリャービンに熱中した。「スクリャービンの音楽は、どこを目指しているのか、将来、この種の音楽からは、宗教的なものが生まれる」
また同年秋、グスタフ・マーラーがヘルシンキを訪れた。シベリウスはこう言った。「私は交響曲の形式のきびしさ、様式、そして深い論理に敬意を表したい」マーラーは答えた。「ちがう!交響曲は全世界だ。そこには、すべてが導入されていなければならない!」マーラーはさらに「もし私があなたの交響曲を指揮するとしたら、どの曲か?」ときく。シベリウスはたった一言「何もない!」
~「FINLANDIA 日本シベリウス協会20周年記念特別号—シベリウス受容の いま」P69-70
まるで水と油である。
シベリウスの、マーラーへの拒絶の真意はわからないでもない。
彼の心底にあったものは、俗的なものではなく、やはり神秘的な、霊的な、聖なる音楽だったのだろうと思う。それゆえに、行き着くところまで行った彼の創造力は、あの時点でもはや限界だったのである。決して枯渇したのではないだろう。強烈な自己批判の結果なのである。もはや言葉にできぬ、否、音にもできぬと言わんばかりに。
シベリウスの類稀なる創造力の一つの頂点を示す交響曲イ短調。やはり指折りの傑作だとあらためて思う。
「ペレアスとメリザンド」は抜粋(第4曲「庭園の噴水」、第8曲「間奏曲、そして第9曲「メリザンドの死」)。ドビュッシーの静謐なる浮遊感伴う幻想的音楽の趣きとは異なり、シベリウスの音楽はどこまでも冷たく、そして暗い。いかにも北国的な堅牢さとでもいおうか、英国的憂愁を帯びるビーチャムの解釈が見事にツボ。
メリザンド なぜ、あたしは死んでゆくのでしょう。—あたし、知らなかった・・・
ゴロー やっと分かったろう・・・今のうちだぞ、今のうちだぞ・・・さ、早く、早く、・・・本当は、本当はどうなのだ・・・
メリザンド 本当は・・・本当は・・・
~メーテルランク作/杉本秀太郎訳「対訳ペレアスとメリザンド」(岩波文庫)P195
ちなみに、「イギリスでは、音楽も含めた第1次世界大戦後の社会的な混沌状態を、シベリウスが救いにきたかのようにさえ感じられていた」(マッティ・フットゥネン)という。
そして、葬送行進曲の凄まじさ。
第2次世界大戦前夜の、苦悩の叫びのよう。