朝比奈隆指揮大阪フィル ブルックナー第9番(2001.9.24Live)を聴いて思ふ

昨年(01年)9月24日、ザ・シンフォニーホールで行われた朝比奈隆最後のブルックナー演奏は、舞台人の肉体的な衰えと年齢に比例する表現の深化が最後のバランスを持って輝いた奇跡の瞬間であり、しかも曲が第九であっただけに、ホールに現出した素朴で暖かく、同時に無残なまでに荒々しく厳しい精神世界は、今後の私の芸術享受にあっても二度と経験し得ないものやも知れず、それを今眼前にしているという感慨を催さずにいられなかった。
(宇野文夫)
~「音楽現代」2002年3月号(芸術現代社)P93

銀座の某所で朝比奈御大の最後のブルックナー第9番の映像を久しぶりに観た。
死の3ヶ月前の、やつれ果てた御大の姿には相変わらず目を伏せたくなったのだが、ブルックナーの未完の「白鳥の歌」の枯れ果てた造形に感嘆の念を覚えざるを得なかった。
やはり弛緩はあるのだと思う。第1楽章はあまりに遅く感じるが、実際の演奏時間は通常の朝比奈のテンポとほとんど相違ない。視覚的な意味で指揮の動きの鈍さが時間感覚に影響を及ぼしているのだろうと思う。それほどに朝比奈の動きは小さい。
ほとんど透明のように見える朝比奈のやせ細った顔貌は、亡霊のようであり、また天使のようでもあった。

ようやく辿り着いたといわんばかりの第1楽章コーダの崇高さに僕はため息が出た。
第2楽章スケルツォは、残念ながら乱れがち。それは音盤で聴いたときにより顕著だが、映像を観ていて思うのは、間違いなくコンサートマスターの梅沢和人さんが統率し、朝比奈最後のブルックナー演奏を形にしていただろうこと。中でも終楽章は、最後の力を振り絞っての、ほとんど指揮が指揮を成していないギリギリ、渾身のパフォーマンスであり、同じくコーダに行き着いたときの言葉にならない感興は、他で味わったことのないものだった。

あらためて音だけの音盤を聴いて思う。
どんなに乱れようと朝比奈隆のブルックナーは唯一無二。
そういえば、御大が亡くなってから僕は実演でこの作品に(決して封印したわけではないのだが)触れていない。

・ブルックナー:交響曲第9番ニ短調(原典版)
朝比奈隆指揮大阪フィルハーモニー交響楽団(2001.9.24Live)

終演後の、例によって長いカーテンコールでの、たぶん微かに涙を流しつつ立ち尽くす朝比奈御大の姿と、老朝比奈の奏でる壮絶な音楽ドラマをたった今享受した聴衆が、ほとんど誰もホールを後にすることなく、歓喜と尊敬の拍手喝采で迎える様子こそ歴史に残る一大ページェントであろうと僕は思う。

ちなみに、梅沢さんは追悼文で次のように書く。

近年は演奏終了後、熱狂した聴衆の拍手に答えるべく、楽員を先に舞台から帰し、一人で袖の椅子に腰掛けてカーテンコールに備えている姿は、痛々しいほど憔悴しきっていた。それでもシャキッと立ち上って、誰よりもカッコ良く舞台に何度も足を運んで行く。
聴衆への感謝が明日へのエネルギーへと昇華されていく瞬間である。

(梅沢和人)
~同上誌P83

嗚呼。いつまでも終わってほしくない終楽章コーダの透明さ、崇高さ。

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