フルトヴェングラー&フラグスタートのシュトラウス「4つの最後の歌」を聴いて思ふ

strauss_wagner_furtwangler_flagstad_po音質は決して良いとは言えない。しかし、この貴重な初演の記録をまったく無視するわけにはいかない。前年の作曲者の死を悼む思いが全編に込められ、古びた録音の向う側からただならぬ「寂寥感」が漂う様。全神経を集中して「当時」を空想する聴者は、まるで夢の中にいるかのような錯覚をもって「最後の作品」に浸るのだ。

初演の順番は出版譜とは異なる。まずは、ヘルマン・ヘッセの詩による「眠りにつく時」。この「眠り」は永遠のそれを指す。「死」というものへのある種「希望」(独奏ヴァイオリンの何と美しい旋律!)。当時の作曲家の胸に去来する思いは決して諦念ではなかったはず。この透明で高貴な音楽を聴く限りにおいては。

私のすべての感覚が今は、眠りに沈むことを望んでいる
そして、解き放たれた魂は、自由に飛び回りたがっている
夜の魔法の世界の中へ、深くそして千倍生きるために

次に、同じくヘッセの詩による「9月」。この音楽はフルトヴェングラーの演奏解釈にもよるのだろうが、実に深刻で悲しい。弦のポルタメントを伴う壮絶な叫び!!

庭は喪に服し、雨が花々に冷たくしみ込む
夏は震える、静かにその終わりを待ちながら

そして、ヘッセの「春」。ここでの主役は特にフラグスタートだ。わずか3分足らずのこの絶唱こそ彼女が作曲者に捧げるオマージュだ。

今、あなたは私の前に輝き、華やかな装いで
光を体に浴びながら奇跡のように立っている

最後がアイヒェンドルフの詩による「夕映えの中で」。この融けてしまいそうな歌の美しさは他を冠絶する。その詩の如く、2人は融け合うのだ。

私たちは苦しみと喜びとのなかを手に手を携えて歩んできた
いまさすらいをやめて静かな土地に憩う

おお、はるかな静かな平和よ!
こんなにも深く夕映えに包まれて私たちはさすらいに疲れた
これが死というものなのだろうか?

リヒャルト・シュトラウス:4つの最後の歌
ワーグナー:
・楽劇「トリスタンとイゾルデ」~前奏曲と愛の死
・楽劇「神々の黄昏」~夜明けとジークフリートのラインへの旅
・楽劇「神々の黄昏」~ブリュンヒルデの自己犠牲
キルステン・フラグスタート(ソプラノ)
ヴィルヘルム・フルトヴェングラー指揮フィルハーモニア管弦楽団(1950.5.22Live)

この日のプログラムは前半にワーグナーの「マイスタージンガー」前奏曲と「ジークフリート牧歌」が演奏されたようだが、録音は残されていない模様。それにしてもシュトラウスのワールド・プレミエ曲をワーグナーでサンドイッチするという重厚な試みが泣ける。
死の匂いと愛の哀しさとが交錯する究極の音世界が巨匠フルトヴェングラーによって創出され、フラグスタートが華を添えるのである。

「イゾルデの愛の死」は後のスタジオ録音に比して管弦楽の響きが一層の熱を帯びる(特にティンパニの轟音)。「ジークフリートのラインへの旅」は大病前のフルトヴェングラーの独壇場であり、テンポの伸縮、アッチェレランドが自由自在で、思わず聴く側が前のめりになるほど。

「自己犠牲」については言葉がない。フラグスタートのブリュンヒルデは何ものにも代え難い。何とも伸びと張りのある深い歌唱!!それにも増して、最後の管弦楽による「愛の救済」!!!当日、ロイヤル・アルバート・ホールでこの模様を目の当たりにした人たちが心底羨ましい。

※太字歌詞はWikipediaから抜粋。

 


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