僕の手もとには、DG西独プレスの初期CD(415 861-2)がある。
僅か33分超で一気に駆け抜けるベートーヴェンの第5交響曲。
40年近く前、はじめて触れたとき衝撃が走った。そのときの印象は僕の中でいまだに色褪せない。
ドイツ・グラモフォンの制作部長でプロデューサーを務めたハンス・ヒルシュは、クライバーがすでにミュンヘンとハンブルクでベートーヴェンの交響曲第5番を指揮していたため、手始めにこの交響曲を録音しようと提案した。「わたしの提案に対し、クライバーは素っ気なくこう答えたのです、『かまわないよ。でもオーケストラはどこ?』」。ドイツ・グラモフォンにとって、ウィーン・フィル以外の選択肢は考えられなかった。
~アレクサンダー・ヴェルナー著/喜多尾道冬・広瀬大介訳「カルロス・クライバー ある天才指揮者の伝記 上」(音楽之友社)P421
それは2回の客演コンサート(ブラティスラヴァとイェーテボリ)と抱き合わせにすることができたラッキーなレコーディングだった。
(クライバーの友人オットー・シェンクの息子であり、クライバーとともにブラティスラヴァへついて行った)コンスタンティン・シェンクは、クライバーの音楽に対する理解力を、次のように語る。「音楽には、楽譜を超えた感情的なアプローチと、数学的な論理的なアプローチがあります。クライバーは前者でした。普通は書かれた楽譜の通りに演奏するものですが、もちろんそれはばかげたことです。それは音楽に近づくことでしかありません。クライバーは、音楽家として、何よりも感情的な音楽への入り口を持ち合わせていました。彼は音楽の精神だけに順応し、良い意味でジプシーのように演奏します。ほとんどの音楽家は、非常にアカデミックな教育を受けてきたため、いさかいが起きるのです。彼のテンポは常軌を逸した速さですが、彼が振るとうまくゆくのです。オーケストラはまるでジプシー集団のような演奏を強いられますが、クライバーにとってはそういう音楽こそが最高のものです。クライバーが嫌っていた小節線や、その一拍目にこだわったりする人がいると、彼はその人をひどくののしるのです」。
~同上書P424-425
実に当を得た言葉だ。何よりカルロスの語彙は豊富だということ。
そして、いよいよレコーディングとなったとき、実際、事はスムーズに進まなかった。
クライバーの芸術上の理想に従えば、すべてが完全にぴたりと揃っている必要はなかったが、雰囲気が炎のように燃え上がることが大事だった。このような彼の理想は、学校で習う決まりきった規則にはかならずしも当てはまらなかった。クライバーには自身の規則があったが、それが常に演奏者の喜びとなるわけではなく、クライバーなど地獄に落ちてしまえと呪う演奏者すらあった。とはいうものの、この時の録音は比較的支障なく終了した。
~同上書P429
カルロスは、余白のための作品の録音を拒否したらしい。なるほどアナログ・レコードにしたって第5交響曲1曲とあっては、もったいない。しかし、さすがのドイツ・グラモフォンもカルロスの要求を飲まざるを得なかった。
かくしてこの名盤が誕生した。
・ベートーヴェン:交響曲第5番ハ短調作品67
カルロス・クライバー指揮ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団(1974.3&4録音)
録音から半世紀。
4回繰り返して聴いた。
けた外れの天才によるベートーヴェンは、父エーリヒの録音を凌ぐ。
今となっては他にもっと凄い演奏があるという輩もあるが、音楽の瑞々しさ、推進力、そして熱量といった点で他を冠絶する凄さがここにはある。
第1楽章アレグロ・コン・ブリオの第1主題から僕はカルロスの虜(優雅な第2主題がまた一層雅に響くのだから堪らない)。
続く第2楽章アンダンテ・コン・モートの愁いある音楽がまたカルロスの真骨頂(聴いていて嬉しくなるのだから不思議)。
そして、第3楽章スケルツォ(アレグロ)(この楽章は録り直しされたらしい)から終楽章アレグロの一斉掃射の如くの激烈な「皆大歓喜」の響きは見事に時空を超える(ベートーヴェンが現代に蘇る?!)。
今さらだが、アレクサンダー・ヴェルナーによる伝記が面白い。
カルロス・クライバーのベートーヴェン第5交響曲を聴いて思ふ