鎮魂のヴァイオリン協奏曲

berg_mutter.jpg人間の心(魂)、あるいは意識というものはやはり繋がっている。他の哺乳類との違いを挙げるなら、人には「自」と「他」を区別する意識が備わっているということ。それがある時は壁になり、問題を生じさせる原因になったりする。でも勝手に区別しているだけで、実は「一つ」であると考えたらどんなに楽だろうか。最近ではいろいろなところで言われていることだが、人が自分以外の全てを自分の一部だと-つまり繋がっているんだということを実感し、他に対して「思いやり」を芯から持てるのであれば問題など起こりようがないとあらためて思うのである。
人は人に対して恐怖心を感じたり、情を持ったりする。そして、初めての場所に対して不安を感じたり期待を持ったりもする。場所にせよ人間にせよ、「(実は)既知の場所であり既知の人である」と考えてしまえば、例えば当たって砕けてみても全く問題なしと思えるのではないかとふと考えた。少なくとも40年以上生きて何千人という人間と出逢ってきたという体験からいうと、初めて出逢った人でも決して初めてではないということが多いのである。必ず友人・知人の誰かと繋がっているもの。チャレンジすることは別に偉いことでもない。特別なことでもない。怖がって何もしないことの方がリスクは高い。

ベルク:ヴァイオリン協奏曲「ある天使の思い出に」(1935年)
アンネ=ゾフィー・ムター(ヴァイオリン)
ジェイムス・レヴァイン指揮シカゴ交響楽団

アルマ・マーラーがヴァルター・グロピウスとの間にもうけた娘マノンが19歳という若さで亡くなったのを追悼し、アルバン・ベルクが作曲した20世紀の名曲。奇しくもベルクの完成した最後の曲となり、自身へのレクイエムともなった。
20世紀の音楽というと暑苦しく難しいというイメージがつきまとうが、この協奏曲はさすがに鎮魂を意図したものであるゆえ静かであると同時に微妙かつ複雑な感情の揺れ(哀悼の意なのか・・・)を伴っている。しかも思ったほど難解ではないところがなお良い。
名曲だけあり、名盤も多数あるが、僕のお気に入りはムター盤。大人になってからのムターの実演で感動したためしははっきりいって一度もないが(ティーンエイジャーの頃のムターの実演はどういうわけかとても感動した)、彼女がリリースする音盤には良いものが多い。不思議な音楽家である。

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アレグロ・コン・ブリオ~第5章 » Blog Archive

[…] チョン・キョンファの音盤を長らく愛聴し、時にムターのそれと比較し、さらにはクレーメルのそれに浮気してみたり・・・(笑)、ベルクの協奏曲は長らくそのあたりで止まっていたが、今頃になってまた再発見したような気分。たまたま今度の講座でのテーマになっているので、いろいろと関連楽曲を聴き漁っているが、これは何だか別格のような気がする。 […]

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