リヒテル バッハ フランス組曲第2番、第4番&第6番(1991.3Live)ほかを聴いて思ふ

秋になって、最初の秋風が強く吹き始めた。空には、灰色の薄い千切れ雲が、あわただしく流れた。暗い海は、波が荒くなり、見渡す限り泡立っていた。大きいうねりが、おびやかすようなきびしい無関心さで近づいてきた。金属のような光を帯びて、暗緑色のふくらみを見せて、壮大に落ちかかり、砂の上にざわめきながら寄せてきた。
シーズンはすっかり終わりだった。

トーマス・マン作/望月市恵訳「ブッデンブローク家の人々(上)」(岩波文庫)P203-204

マンの、心象に限らない自然の細かい描写が美しい。

その演奏がライヴであろうとスタジオでのものであろうと、とにかくきれい。
そのたった一語で、スヴャトスラフ・リヒテルのバッハの演奏を言い表せると僕は思う。
音に潤いがある。それは、リヒテルのバッハに対する尊崇の念の表れなのだろうか。あるいは、音楽に深い呼吸と律動がある。たった今目の前で演奏されているのかと錯覚するくらい、音が生き生きとする。
ある時は喜びが、またある時は悲しみが。

ヨハン・セバスティアン・バッハ:
・フランス組曲第2番ハ短調BWV813(1991.3Live)
・フランス組曲第4番変ホ長調BWV815a(1991.3Live)
・フランス組曲第6番ホ長調BWV817(1991.3Live)
・トッカータニ短調BWV913(1991.11Live)
・トッカータト長調BWV916(1991.11Live)
・幻想曲ハ短調BWV906(1991.11Live)
スヴャトスラフ・リヒテル(ピアノ)

絶品の舞曲たちが、まるで妖精が舞うように、きらきらと発光しながら眼前を流れる。
ほかのピアニストからは感じたことのない魔法。これほど有機的で濃密なフランス組曲があったろうか。しかも、それがライヴによって成されているのである(ボン、ローランドゼックでの演奏)。驚きだ。
そして、明確な意志を持つトッカータは、晩年のリヒテルの創造物の真骨頂(ドイツはノイマルクトでの演奏会の模様)。幻想曲も、音がまるで生きているようで興味深い。

それは休憩時間にもまだ感じられ、ささやきや、ベンチで坐りなおす小さな物音が、楽しげに生き生きとひびく。人びとは心よろこばしく、自由になって、あらたな偉観を出迎える。そしてそれはやって来る。大きな自由な身ぶりで巨匠バッハが彼の神殿に歩み入り、感謝をもって神にあいさつし、祈りから身をおこし、讃美歌の言葉をかりれば、神への帰依と日曜日の気分を楽しむことに着手する。
(ヘルマン・ヘッセ「輝きと魂にみちた世界」)
「音楽の手帖 バッハ」(青土社)P48

バッハの崇高な威容を巧みに表現するヘッセの言葉に芯から感応するのは、リヒテルのバッハしかない。聴衆の心からの(静かな)拍手がまた意味深い。

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