イーヴォ・ポゴレリッチ ピアノ・リサイタル

pogorelich_20161210702相変わらず開演前の薄暗いホールでピアニストが何やら徐に音を紡ぐ。開場まもない、普段ならホワイエで待機するであろう聴衆の多くが、ホールに入って彼の「音楽」に耳を傾けているのは何とも不思議な光景。今や知る人ぞ知るイーヴォ・ポゴレリッチのリサイタルでの儀式。今夜もそこから始まった。

夢か現か。
それこそ、少し前のようにあの世とこの世の往来、すなわち能の体現のような舞台ではなくなったが、しかし、明らかに舞台と客席との間には目に見えない分厚いカーテンがあった。まるで時間が本当に止まったような永遠の、しかもそれが完全に錯覚であるという終わることのない物語。

イーヴォ・ポゴレリッチの独壇場。否、ひょっとするとそれは彼のマスターベーションと言えるのかも。この孤独な虚無僧の祈りを、固唾を飲んで見守る満員の聴衆の一人としての自分を客観視して何だか僕は可笑しくなった。あまりに主観的な表現に我を忘れて没頭する自分自身が可笑しくなったのである。彼はやっぱり天才だ。
ロベルト・シューマンの小洒落た作品が、驚くべきシンフォニックな響きでもって、僕たちの前に信じられないような巨大な音塊として現出したことに腰を抜かした。ポゴレリッチらしい途轍もない轟音と静寂の見事な対比。
また、フレデリック・ショパンの、同じくポゴレリッチにしか成し得ない極大でありながら抜け切った透明な世界に呆然。
バラード冒頭の牧歌的で静謐な世界と、突然現れる強烈な打鍵による割れんばかりの爆発的音響の対比こそピアニストの真骨頂。こういう音楽を聴かせられるとポゴレリッチが録音をしない理由がよくわかる。彼の音楽は実演でないと絶対にわからないだろうゆえ。

イーヴォ・ポゴレリッチ ピアノ・リサイタル
2016年12月10日(土)19時開演
サントリーホール
イーヴォ・ポゴレリッチ(ピアノ)
・ショパン:バラード第2番ヘ長調作品38
・ショパン:スケルツォ第3番嬰ハ短調作品39
・シューマン:ウィーンの謝肉祭の道化作品26
休憩
・モーツァルト:幻想曲ハ短調K.475
・ラフマニノフ:ピアノ・ソナタ第2番変ロ短調作品36(改訂版)
~アンコール
・シベリウス:悲しきワルツ作品44-1

休憩後のポゴレリッチは一層飛翔した。
おそらく今夜の白眉となるのがモーツァルトの幻想曲。これほどまでに(一切の愉悦を端折ったような)哲学的なモーツァルトがかつてあっただろうか?どの瞬間もニュアンス豊かで、絶頂期のモーツァルトの音楽がどれほど奥深いのかを知らしめる名演奏。小さな作品が壮大な交響詩としてあらためて描かれたように僕には思えた。
さらには、ラフマニノフのソナタでのテンポのあまりの伸縮に、今一体どこが奏されているのかを見失いかけそうになりつつも、ポゴレリッチのいう「パルス(脈動)」を頼りに僕は脱力で音楽に身を委ねた。

とくに速度・・・、実は私はこの言葉が嫌いなのです。私にとってのそれは、単なる「速度」(speed)ではなく「脈動」(pulse)という意味が含まれています。生の演奏では、音の長さや空間の中での伝達を、より自由に、より多彩に、より個性的に、より生き生きと表現できます。録音スタジオ、コンサートホール、屋外のステージ、場所によって演奏は変り、それぞれに理由があります。
(2016年11月、電話インタビューにて 訳:森岡葉)
~公演プログラム

それこそ人も場所も、すべては呼吸し、その中に今ここの音楽が刻まれるのである。
あの恐ろしいまでの、ピアノが壊れるのではないかとも思われるほどの轟きを僕はポゴレリッチ以外で聴いたことがない。一方、第1楽章アレグロ・アジタート展開部での、囁くような、優しく愛撫されるようなあの静音にエクスタシーを覚えるのは僕だけだろうか?あの強烈なアップダウンが、感情の起伏を刺激し、聴く者を魅了、金縛りにする。

そして、アンコールはシベリウス。こちらも超絶スローなテンポで静かに、しかし刺激的なパルスを伴って脳天に突き刺さった。最高である。
いよいよ風変わりでありながら説得力のある孤高の境地に辿り着いたポゴレリッチを誰もが祝福した。最後はスタンディング・オベイション。幾度も呼び戻されるピアニストはその景色に何を思ったのだろう?

 

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7 COMMENTS

渡辺

渡辺です。

私も圧倒されました。
ショパン、シューマン、ラフマニノフも印象深かったですが、
私もモーツァルトの幻想曲が最も感銘を受けました。
あんなモーツァルトの幻想曲は聴いたことがありません。
聴き慣れたはずの曲なのに、初めて聴く曲のようでした。

終演後はサイン会に参加していたので、お会いすることができず残念でした。
またどこかの会場でお会いできるのを楽しみにしています。

返信する
雅之

まったく偶然ですが、先日、仕事の関係先から、12月18日(日)15:00~ 豊田市コンサートホール (同じくプログラムA)

http://www.t-cn.gr.jp/info/1801/

の招待チケットをいただきました。年末は多忙で遠方まで聴きに行くのをどうしたものかと消極的になっておりましたが、これでは何としても行かなくちゃ、バチが当たりますね!

返信する
岡本 浩和

>渡辺様

あのモーツァルトはすごかったですね!予想以上でした。あれが聴けただけで大満足です。
渡辺さんはおそらくサイン会にいらっしゃるのだろうと思っておりました。
こちらこそまたどこかの会場でお会いできること楽しみにしております。

返信する

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