リヒテル J.S.バッハ イギリス組曲第6番ニ短調BWV811ほか(1991.3.5Live)

ポリフォニーの本質は、まさに個々の声が自立したものとしてあり、しかもそれらが組み合わされることによってホモフォニー(単声楽)よりも高度な統一性を実現することにある。個人の意志に関して言えば、まさにポリフォニーにおいてこそいくつかの個人の意志の結合が生じ、単一の意志の枠が本質的に乗り越えられるという現象が起こるのである。したがって次のように言うことも可能であろう。つまりポリフォニーの芸術的な意志は、複数の意志の結合への意志であり、事件への意志であると。
ドストエフスキーの世界の統一性を、個人の感情や意志のアクセントによる統一性に帰してしまうことは許されない。音楽としてのポリフォニーがそのように解釈され得ないのと同じである。

ミハイル・バフチン/望月哲男・鈴木淳一訳「ドストエフスキーの詩学」(ちくま学芸文庫)P45

バフチンの指摘は当を得ている。
「調和」の姿がそこにはある。すべては自律的であり、また協調的であるがゆえに美しいのである。

完璧なポリフォニー音楽の典型であるバッハの創造は、彼の天才が宇宙の根源を捉えていたゆえの成果だろう。

若き日、バッハはブクステフーデの演奏を聴くため、リューベックまでの200マイルを徒歩で完遂したという。

リューベックに到着する頃には足は靴ずれでひどかったが、興奮していたので気持ちは張り詰めたままだ。若き音楽家は大家のオルガン演奏に聴き惚れ、心底高揚される思いに満たされる。若者はアルンシュタットの雇い主に手紙を書き、休みをもう1か月延ばして欲しいと申し出た—首になるのを覚悟の上で。
この体験から3年が過ぎる頃、若者は人生の最終的な目的をまわりの者に打ち明ける。それは「神の栄光のために良く整えられた音楽」を創り上げることだった。学ぶことへの飽くなき欲求を抱き、休みなく仕事を続ける習性を身につけ、若者はこの目的に向かって歩み始めた。その名をヨハン・セバスチャン・バッハといった。

パトリック・カヴァノー著/吉田幸弘訳「大作曲家の信仰と音楽」(教文館)P16-17

彼はもちろん天才だったが、それ以上に努力を怠らなかった。

リヒテルの弾く「イギリス組曲」を聴く。

ヨハン・セバスティアン・バッハ:イギリス組曲
・第3番ト短調BWV808
・第4番ヘ長調BWV809
・第6番ニ短調BWV811
スヴャトスラフ・リヒテル(ピアノ)(1991.3.5Live)

晩年のリヒテルが到達した至純のバッハ。ボンはローランドゼックでのライヴ録音。
流れるように、しかも確信をもって貫かれた意志の結晶。聖なる本性と、俗なる自我の混淆。
リヒテルは老体に鞭を打ち(?)、透明な、音楽しか感じさせないポリフォニー音楽を再生する。

言葉で説明するのも恥ずかしくなるくらい、言葉にならない人類の至宝。
願わくば、6曲すべてを残してほしかったほどの美しさ。
心して聴き給へ。

過去記事(2019年7月25日)


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