バックハウス シューリヒト指揮スイス・イタリア語放送管 ベートーヴェン「皇帝」ほか(1961.4.27Live)を聴いて思ふ

さすがにシューリヒトとバックハウスの呼吸はぴったりのようだ。
スイスはルガーノのアポロ劇場での実況録音。劇的名演奏である。
ベートーヴェンの協奏曲「皇帝」第1楽章アレグロ冒頭カデンツァから(クナッパーツブッシュと迷演奏に比して)勢いがまるで違う。生気に満ち、活気あふれるバックハウスのピアノがうねり、シューリヒト指揮するオーケストラが唸る。前のめりの再現部。音楽はますます激しさを増し、老練の音楽家のものとは思えない若々しさを放出する。

ルガーノの聴衆がこのときに体験したのは、素晴らしい演奏会だったことが納得できる。オーケストラは、指揮するシューリヒトの意図を、明晰な演奏と特筆すべき躍動感で余すところなく表現している。非常に素晴らしい弦楽四部のパートといつもと変わらない崇高なヴィルヘルム・バックハウスのピアノを聴けるのだ。
ミシェル・シェヴィ著/扇田慎平・塚本由理子・佐藤正樹訳「大指揮者カール・シューリヒト―生涯と芸術」(アルファベータ)P200

ここにはソリスト、指揮者、各々が互いへの信頼を下に、ベートーヴェンへの純粋なる愛がある。古い放送録音が、まるで生き返るように新鮮に響くことが驚きだ。第2楽章アダージョ・ウン・ポコ・モッソにも、静けさを超えた、言葉にならない喜びが表現される。

シューリヒトがフランス語圏スイスからここまで会って来た理由を、その友人関係に求めねばならないであろう。ピアニストのヴィルヘルム・バックハウスは、かなり前からルガーノ湖に面する坂道に屋敷を構えていた。このピアニストがルガーノの演奏会の共演を、彼の変わらぬ友に頼みさえすれば、その実現は簡単であった!
~同上書P198

お互いの手の内を知り尽くした二人の協演が悪かろうはずがない。

・ベートーヴェン:ピアノ協奏曲第5番変ホ長調作品73「皇帝」
・モーツァルト:交響曲第40番ト短調K.550
・メンデルスゾーン:序曲「フィンガルの洞窟」作品26
ヴィルヘルム・バックハウス(ピアノ)
カール・シューリヒト指揮スイス・イタリア語放送管弦楽団(1961.4.27Live)

モーツァルトの交響曲ト短調は憂いと激しさの両方を帯びる名演奏。テンポは中庸、弦がうねり、泣く。ライヴのシューリヒトの素晴らしさが手に取るようにわかる。第2楽章アンダンテの切羽詰まった、息もできぬほどの悲しみの表情に快哉を叫び、そして、第3楽章メヌエットのあまりに動的な喜びの踊りと優しいトリオに涙、終楽章アレグロ・アッサイは、解放のドラマである。終演後の、聴衆の拍手喝采の神々しさ。
一方、暗澹たる表情を湛えるメンデルスゾーン「フィンガルの洞窟」の意味深さ(ティンパニは激しく打ち鳴らされ、実に有機的な音を出す)。

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2 COMMENTS

ナカタ ヒロコ

おじゃまします。記事に触発されて、このCDを聴きました。輸入盤の「ザ・グレイト・コンチェルト」というボックスの中に入っていたのを思い出しました。生き生きとして、堂々とした「皇帝」でした。バックハウスのピアノも華麗で、「鍵盤の獅子王」を彷彿とさせるものでした。シューリヒトという指揮者は名前をきいたことがあるくらいで、はっきり聴いたことがなかったのですが、名前の響きどおりメリハリのある演奏と感じました。エーリッヒ・クライバー急死のあとを受けてウィーンフィルとアメリカ演奏旅行に、クリュイタンスを従えて行った人なんですね。
 手に入れたら、いつでも聴けると安心していまだに聴けずにいたCDの一つを聴く機会をくださって、ありがとうございました。

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岡本 浩和

>ナカタ ヒロコ 様

手に入れたら聴かずに置いておくというのはありがちですね。(笑)。思い出して取り出し、聴いていただきありがとうございます。
これは稀に見る白熱した演奏だと心から思います。バックハウスもシューリヒトも燃えていますよね。彼らのライヴはやっぱりすごかったのだとあらためて感じ入っております。

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