フレミング アバド指揮ベルリン・フィル ベルク 7つの初期の歌ほか(2005.5Live)

ルネ・フレミングを独唱に迎えたクラウディオ・アバド指揮ベルリン・フィルによるマーラーの交響曲第4番は、決して出来が良いとは思わない。否、この言い方は不評を買うだろう。出来が良くないのではなく、単に僕の好みではないということだ。アバドには、フレデリカ・フォン・シュターデを独唱に据えた天下の名盤があるため、僕はどうしてもそちらに目移りする。シュターデの、滋味溢れる、癖のない、大天使のような歌唱は、他のどんな演奏をも凌駕する。それは録音から40余年を経た今も変わることのない永遠だ。

しかし、このベルリン・フィルとの音盤にも実は無視できない強みがある。
それは、アルバン・ベルクの「7つの初期の歌」の名演奏に由る。フレミングの歌唱の素晴らしさが100%発揮されているのはむしろこちらの方だ。

カール・ハウプトマンの詩による第1曲「夜」。暗澹たる苦悩の叫びが、ベルクの世紀末的不穏な管弦楽法に生きる。続くニコラウス・レーナウの詩による第2曲「葦の歌」の、静かに爆発するフレミングの歌唱の魔法。そして、テオドール・シュトルムの詩による第3曲「夜鳴きうぐいす」は、情感豊かに思いを発するフレミングの歌と、その歌に見事に感応する管弦楽が織り成す名演奏。さらに、傑作ライナー・マリア・リルケの詩による第4曲「夢に見た栄光」の、夢にまで見た女性との相思相愛の喜びを歌った、それこそ官能を音化したベルクの天才を、これほどうまく表現した演奏があろうか。

・マーラー:交響曲第4番ト長調
・ベルク:7つの初期の歌
ルネ・フレミング(ソプラノ)
クラウディオ・アバド指揮ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団(2005.5Live)

ヨハネス・シュラーフの詩による第5曲「室内にて」の、秋の黄昏時の哀愁のような、潤いある見事な歌唱に感動。あるいは、濃厚な愛を歌うオットー・エーリヒ・ハルトレーベンの詩による第6曲「愛の讃歌」は、恋愛体質のアルバン・ベルクの真骨頂。こういう音楽性をもってベルクは女性を口説いたのではないかと思わせるくらい官能的なのだ。そして、パウル・ホーエンベルクの詩による第7曲「夏の日」の、マーラーをも凌ぐ激性に舌を巻く。

7曲を聴き終えたとき、聴衆の怒涛の拍手喝采に僕は我に返った。
何とこれはライヴ録音だったのだ。あらためて事実を忘れさせるほどのフレミングとアバドの熱演に僕は感謝の想いを表わしたい。名演奏だ。

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