フランツ・シューベルトがちょうど200年前に作曲したソナタイ長調D664は、激性と安寧が交互に飛び交う傑作。第1楽章アレグロ・モデラートの、いかにもシューベルトという、「歌」と暗澹たる慟哭の調べは、リヒテルの手にかかると果敢な生命力を持ち、聴く者を見事に挑発する。
大自然の中にあり、ましてや陰の気溢れる夜半に耳を傾けるなら、2世紀の時を超え、真に迫る。
また、第2楽章アンダンテは、光と翳の絶妙な対比が美しく、哀感満ちる調べが心に刺さる。そして、終楽章アレグロの、モーツァルトに優るとも劣らぬ華麗な喜びは、強いて言うなら、若きシューベルトの魔法。それにしても壮年期の、鉄のカーテンの向こうにあり、ようやく西側に紹介されつつあった時期のリヒテルの完全無欠の感覚的なシューベルト演奏に脱帽だ。
シューベルト:
・「さすらい人」幻想曲ハ長調D760
・ピアノ・ソナタ第13番イ長調D664
スヴャトスラフ・リヒテル(ピアノ)(1963.2録音)
「さすらい人」幻想曲第1楽章アレグロ・コン・フオーコの堂々たる響きに舌を巻き、第2楽章アダージョの癒しの音調に涙する。
ソナタ同様激しさと優しさの二元がシューベルトの命。第3楽章プレストの「歌」の素晴らしさ。そして、終楽章アレグロは、第1楽章の主題回帰のフーガ風展開が肝。煌びやかな、開放的なシューベルトの魂よ。
今夏は、両親の介護介助のため、通年より早めに帰省しているが、 皆が寝静まった後の静かな夜半に高原の虫の音をバックに聴くリヒテルのシューベルトに思わず感応。何という幸せ。