ジュリーニ指揮コンセルトヘボウ管のドヴォルザーク交響曲第8番(1990.12録音)ほかを聴いて思ふ

dvorak_8_ravel_ma_mere_loye_giulini_rco595人生を悟った老練のメルヘンの心地良さ。
まるで見た目も性格も違う2つの作品を並べたセンスに天晴。
ジュリーニの魔法。
ラヴェルの「マ・メール・ロワ」の、愛する孫にでも語りかけるかのようなふくよかな優しさ。もちろんそれは、コンセルトヘボウのそれぞれの奏者の、指揮者の思いを確かに音化する力量のお陰なのだが、何より指揮者の深い愛情とパッションが刻印され、本当に素晴らしい。
例えば、第4曲「美女と野獣の対話」での、美女が野獣を受け容れ、野獣が美しい王子に変身する描写の輝きと恍惚。続く終曲「妖精の国」は、冒頭から涙が出るほど美しく、この濃密な浪漫はほんの少し過ぎているようにも思われるが、ここにこそジュリーニの神髄がある。

そして、ドヴォルザークの堂々たる威容。
これほどまでの「大きさ」を要求する音楽なのかどうなのか、僕にはわからない。
しかしながら、どの瞬間も意味深く、この音楽の偉大さが手にとるようにわかり、実に興味深い。特筆すべき自然体、そしてそれに見事に応え、音楽と一体となるオーケストラの腕前。ティンパニの打撃は有機的で、金管の咆哮は少しもうるさくなく、弦楽器は嫋やかに歌う。第1楽章アレグロ・コン・ブリオの流れる第1主題、それに相対するフルートの可憐さ、あるいは金管の爆発、すべての楽器の絡みの融け合いに感嘆。
また、そこはかとない哀しみを湛えた第2楽章アダージョの、滋味溢れる響きに、ドヴォルザークを愛するジュリーニの心を思い、クライマックスに向けて高揚する音楽にジュリーニの魂を感じる。

・ドヴォルザーク:交響曲第8番ト長調作品88(1990.12.13&14録音)
・ラヴェル:子どものための5つの小品「マ・メール・ロワ」(1989.11.23&24録音)
カルロ・マリア・ジュリーニ指揮ロイヤル・コンセルトヘボウ管弦楽団

第3楽章アレグレット・グラツィオーソの夢見るような、しかし暗く重い憂愁。モルト・ヴィヴァーチェのトリオは、幾分軽快になるもののひとつひとつの音を丁寧に歌い、聴く者を魅了する。
終楽章アレグロ・マ・ノン・トロッポ冒頭の光輝放つトランペットのファンファーレに金縛り。直後のチェロによる主題の柔らかさ!!続く各変奏は生きものの如く時に激しくうねり、時に優しく囁く。

ところで、かつての評論家諸氏(歌崎和彦・宇野功芳・佐々木節夫・濱田滋郎・福永陽一郎)による演奏家論ジュリーニ評が面白い。

福永 多分音楽をつくる上で、すごく意図的なんですよ。意図的にやったところが答えが悪かったということ。
宇野 全部彼は意図的なんだ。
歌崎 すごく計算していると思いますね。ただ、持続力が前とちょっと桁が違ってきたなというイメージがしてるんですね。
宇野 スケールが大きくなったし、内容の充実感、響きの充実感がすごいですね。ただ、しっぽが見えるというか、やっていることがやたらと見えるときと、そうじゃなくて一見平凡だけどすごくりっぱにやるときと、いろいろ路線がある。それが曲の中でも出てきたりして、ちょっと得体のしれない感じをぼくは受けるんですよ。
歌崎 ジュリーニとしては首尾一貫しているんじゃないかと思いますけどね。
福永 絶対にあるがままにやろうとしない人ね。スコアを見たことはないけど、スコアを見たら克明に書いてあるんじゃないかな。それがうまく当たれば説得力をもって迫ってくる。それともう一つ、あの世代ですから、即物主義的な、ストレートにやんなきゃいけないというのもどっかにある。
宇野 理解しにくい人ですよ。
「五人の評論家による体験的演奏家論―五つの断章」より抜粋
~「レコード芸術」1983年4月号(音楽之友社)P188

評論家というのはあらためて勝手言い放題、いい加減なものだと思う。
とはいえ、歌崎さんのおっしゃる「首尾一貫」というのはその通りなのかもしれない。ちょうどロス・フィル音楽監督辞任直前の座談会での論で、それからフリーになって10年近くの間に(首尾一貫のお陰で)彼の音楽は見事に熟成されたのだと思う。
明確な意図を持ちつつあくまで自然体のドヴォルザークとラヴェル。
とにもかくにも「素晴らしい」の一言に尽きる。

 

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2 COMMENTS

雅之

>評論家というのはあらためて勝手言い放題、いい加減なものだと思う。

あのころは、お気楽で平和ないい時代だったなあとういう感慨に浸っております。

ご紹介の録音、私には特段名演とは感じませんでしたが、演奏された時期の、本場ヨーロッパでコンサートをコンサートとして安心して聴けるごく普通の環境が、いかにかけがえがなく貴重だったかを今にして噛みしめています。

今や、コンサート会場もテロのソフトターゲットに充分なり得ることを心の片隅に留め置かなければならなくなってしまいました。

音楽好きにとっては、第一次・二次大戦時よりも憂慮すべき事態ではないでしょうか。

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岡本 浩和

>雅之様

ほんとですね。
言われてみると、日本の会場ですらその可能性がゼロではないことに愕然とします。
特に東京は・・・。
ありがとうございます。

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