久しぶりに本を開いた。
何だかすごく時間が経過しているような、そんな錯覚に陥った。
コンズル夫人が、心底から腹立たしく感じたのは、トリーナがしばらく前から肉屋の職人と友だちになっていて、精神的めいた結びつきを持つようになっていたが、いつも血腥い職人がトリーナの政治上の考えに、まことに困った影響を与えているらしいことであった。コンズル夫人が、葱入りのソースがおいしく出来なかったことで、トリーナに小言を言うと、この娘はむき出した両腕を腰に立て、つぎのような言葉を吐いたのであった。「もうすこしまっていらっしゃいよ、おくさん、げんじょうはもうながいことはありませんよ。べつのしゃかいちつじょのよのなかになりますからね。そのときは、わたしがきぬのふくをきてソファにかけて、おくさんが、わたしのおきゅうじをすることになるから。・・・」もちろん娘はすぐに暇を出された。
~トーマス・マン作/望月市恵訳「ブッデンブローク家の人々(上)」(岩波文庫)P255
世界は変転する。体制などあっという間にひっくり返ってしまうのだ。
変化を怖れない自由な心をいかに保つかどうか。
たとえシステムが破壊されようと、新たな創造をどれだけ楽しめるかだ。
久しぶりにキース・ジャレット・トリオを聴いた。
1985年7月2日は、パリでのライヴ。
“Stella By Starlight”からキースの柔和で刺激的なピアノ・ソロは相変わらずで、そこにジャック・ディジョネットの繊細なドラムスとゲイリー・ピーコックの弾けるベースが絡む瞬間の、文字通り電光石火のインタープレイに魂までが激しく揺れる。
・Keith Jarrett Trio:Standards Live (1985.7.2Live)
Personnel
Keith Jarrett (piano)
Jack DeJohnette (drums)
Gary Peacock (double bass)
終始うなるキースの声すらも、パフォーマンスの一部なんだと僕は思う。
奏者の集中と発散が、聴衆の熱狂を殊更喚起する。キースを始点(あるいは支点)にするも、ジャックもゲイリーもあくまで自由に奔放に音楽を奏でていく。拡散するエネルギーが、やはりキースの魔法によって、同時に見事に収斂されてゆく”Too Young To Go Steady”の美しさ、というよりかっこ良さ。会場を埋める聴衆の歓喜たるや、痺れる。
破壊と創造を繰り返す、その秩序にこそ意味があるのだと思う。
夜明け前が最も暗いという。心配なかれ。