2001年宇宙の旅~ジェルジ・リゲティ

ligeti_Project_2_Nott.jpg1ヶ月前にお願いした「人間力向上セミナー」のネーミングとキャッチ・コピーについての提案をもらうため東銀座のA社にてYとランチ。さすが広告代理店のコピーライターだけあり、僕が考えている内容のすべてをとり入れつつも3つの角度からの知恵をしっかりと盛り込んでセンスの良い(大袈裟か?)開発案をくれた。あとはもう少し細かく吟味して最終決定をするだけ。感謝です。
ミーティング後、向かいの東劇(映画館)にて、公開40周年ということでスタンリー・キューブリック監督作「2001年宇宙の旅」が上映されていたので、思わずチケットを購入して入った(LDなどでもう何度も観ている名作だが、映画館の大スクリーンで観るのはおそらく初めてだと思い、こんな機会は今後なかなかないかもと考えたのだ)。
若い頃に観たときは、あまりに哲学的で、R.シュトラウスの「ツァラトゥストラ」やJ.シュトラウスのワルツ「美しく青きドナウ」など音楽の効果的な使い方ばかりに興味が湧き、その内容までは正直よくわからないというのが本音だったのだが、今日観てよく理解できた。

人間は「理性」というものを持たされたがゆえに、他と自己とを区別し、それが間違って「他との争い」や「過剰な自己愛」というものに変容してしまったのではないか。自己を防衛するためには手段を選ばず、友を見殺しにしてまでも「自ら」を優先する。そして自分に反抗、抵抗しようとするものは抹殺する・・・。
しかし、そういう自己愛の権化のような「人間様」が最後に見るのは「地獄」であり、終わりのない「輪廻転生」というスパイラルの中に迷い込んでしまう・・・。

「2001年宇宙の旅」というタイトルがいみじくも暗示するように、21世紀においては「搾取」ではなく「分かち合い」こそが人間が生き延びるための最大にして最高の「思想」だというメッセージをキューブリックは送っていたのではないのか。
「権力と金」にものをいわせて他を抑え込み、引っ張ろうとするいかにもアングロ・サクソン的なリーダーシップは21世紀においてはもう時代遅れなのだろう。今、ハーバードにおいても松下幸之助に倣った「日本的リーダーシップ」が評価されつつあるのだという。
島国の農耕民族であった日本古来の「和を以って尊しとなす」精神こそ我々現代人が取り戻すべき「考え方」なのかもしれない。

リゲティ:アトモスフェール(1961年)
ジョナサン・ノット指揮ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団

この映画に使われている音楽はどれも魅力的だ。特に、ジェルジ・リゲティの音楽は一聴難解で、とっつきにくい印象を受けるが、「アトモスフェール」然り、「ルクス・エテルナ」然り、「レクイエム」然り、どれもが人間の持つ「エゴ」の醜さを強調する「身震いするような寒気」を感じさせてくれる「地獄の音楽」で、まるで「2001年宇宙の旅」のシーンのために作曲された楽曲なのではないかと勘違いしてしまうほどツボにはまっている。以前ソニーからリリースされた「リゲティ・エディション」やテルデックから出ている「リゲティ・プロジェクト」は録音、演奏ともども優れており、この作曲家を知るのに絶好の音盤たちである。おすすめ!

※今日は満月。

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