現代の音楽と中世・ルネサンス音楽の共通項。
私見では、なぜか実演でしかその真価はわかり得ないということ。根拠はない。もちろんバロック、古典派、ロマン派の音楽も生で聴くのがベストに違いはない。しかしながら、どういうわけか現代音楽と中世音楽については(少なくとも僕は)特にそう感じるのである。
ハインリヒ・シュッツを聴いた。
バッハより100年前に生を得た、知る人ぞ知るドイツの作曲家。
シュッツの音楽は時に単調に聴こえるときがあるといわれる。
その理由は、慶應義塾大学の佐藤望先生によるとこうだ。
これは私たちの耳に原因があります。ひとつめは音楽体験の変化です。もともとシュッツを含め、昔は聴き手は演奏者と直接向かい合って聴くしか音楽を聴く方法はありませんでした。それが時代は変わりレコードやCD、最近ではインターネット上の動画サイトや、スマートフォンなどからイヤホンで聞くということが主流になってきています。シュッツは当然、生で聞くことを前提にして音楽を書いているわけですから、イヤホンで聞いたのでは彼の音楽がもつ空間性や語りといった本来の要素があまり伝わらない。それが単調に感じることにつながっているかもしれません。
~「シュッツってどんなひと?」第1回
文明の発展、進化とともに音楽は、すべての大衆の「もの」に変化していくのだが、こと宗教音楽については特定の信仰を持つ人のものという印象がいまだある。しかし、「音楽」というものはそもそもが普遍的なものであり、誰の耳にも心地良いものであるはずだ。
「音楽による葬送(ムジカリッシェ・エクセクヴィーエン)」。
テキストはドイツ語だが、もちろんラテン語レクイエム文の訳ではない。全体は3部から成り、第1部は公の柩に刻まれた聖書からの引用文とコラールの歌詞による埋葬ミサ、第2部・第3部は二重合唱によるモテット風の曲である。楽器は通奏低音のみという地味さ。ユニークなのは第1部で、独唱・重唱と合唱が交互に、テキストの一句一句をかみしめるように歌い進んでいく。しかけじみた盛り上がりは一切ないが、その音楽はひたひたと心に迫り来る。
(金田敏也)
~「古楽CD100ガイド—グレゴリオ聖歌からバロックまで今いちばん新しい音楽空間への冒険」(国書刊行会)P57
シュッツの音楽の真価を金田さんは実に上手に伝えてくれる。この渋さ、シンプルさが彼の音楽の神髄なのである。
シュッツ晩年の傑作は、「十字架上のキリストの最後の7つの言葉」。
静謐で、聖なる少年合唱のあまりの無垢さに感動する。ルカ福音書23章46節による終曲「父よ、私の霊をあなたの手にまかせます」は、バッハの「マタイ受難曲」最後の合唱を髣髴とさせる、否、超越する魂の絶叫。
それにしても、シュッツのある意味「軽さ」は人々の心を大いに掴んだのではないだろうか。音楽が終わった瞬間に、また一から耳を傾けたくなるという魔法。ペーター・シュライアーのイエスが出色。