ワルター指揮コロンビア響 ブルックナー 交響曲第4番「ロマンティック」(1960.2録音)

第2次世界大戦直前の、切迫した状況の中でのヨーロッパ音楽界の重鎮たちのやり取りが生々しい。1938年のザルツブルク音楽祭の招待を受けることができないというトスカニーニの返事に対してワルターは・・・。

トスカニーニから断わりの返事が来た日、私は国立歌劇場でウェーバーの「オーベロン」上演を指揮した。オランダ領インドシナでの飛行機事故の傷もまだ癒えないブロニスラフ・フーベルマンが幕間に私の事務室にやって来た。「この上演に対する感謝の言葉をお別れを言いに来ました」と、彼は言った。わけが解らずに彼を見つめていると、彼はこうつづけた、「そう、あなたにはお解りになりませんか、オーストリアもおしまいだということが。あなたもできるだけ早く出発なさったほうがいいですよ。」私は、この運命の時にオーストリアを去ることは、自分としては正しくないと思うと答えた。そして、情勢は政府の統御下にあり、オーストリアの独立性は安泰であると、政府が教えてくれた、私は政府を信頼している、と言った。
内垣啓一・渡辺健訳「主題と変奏—ブルーノ・ワルター回想録」(白水社)P428-429

ワルターの希望は簡単に潰えた。現実にはまもなくアドルフ・ヒトラー率いるナチス・ドイツによってオーストリアは併合されたのである。

オーストリアの作曲家エーゴン・ヴェレスの新曲とブルックナーの「ロマンティッシェ」をプログラムにいれた、次回のフィルハーモニー・マチネー演奏会のすんだあと、妻と私はヴェレスの家で朝食をとった。それから私たちは、調子っぱずれで下品なヒトラーの声をラジオで聞いた。ナチ国家がドイツの産業をそこまでもりあげた強力な生産状況を、数時間にわたって自慢していた。その声は世界の聴衆を、「何万トン」もの資材によって震撼し、《わがふるさとのゆりかごのある国》を驚くべき言葉で感傷的に指摘することによって感動させたのである。
~同上書P429

慈しみのワルターの、祖国を思う信念と、どうすることもできないやるせない怒りの思いが伝わる。その後すぐにチェコ・フィルハーモニーの演奏会を指揮するためにワルターはプラハに向かう。チェコではコンサートもオペラもいずれも大成功に終わり、憤懣やるかたない、切羽詰まる聴衆の心をとらえた。そしてまた、ワルターは次の目的地アムステルダムに向けて発った。

この楽観的な気分のうちに、私はその翌日、客演指揮者としての義務を果たすためにアムステルダムに向かった。私たちは、2週間ばかりしたら帰って来るつもりで、娘に陽気なさようならを言った—何が彼女を待ちうけていたか、私たちは予感すらしなかった。何がオーストリアに迫っていたかということを、また、自分たちがもはやこの国に再会できない運命にあるということを、私たちは予感すらしていなかったのである。
~同上書P430

歴史的ドキュメントの当事者のリアルな言葉に言うことが見当たらない。中で、当時ワルターが、ウィーン・フィルとのマチネーに選んだ作品がブルックナーだったという点に僕はとても興味を持った。

・ブルックナー:交響曲第4番変ホ長調「ロマンティック」
ブルーノ・ワルター指揮コロンビア交響楽団(1960.2.13, 15&17録音)

ワルターは、師マーラーの音楽以上にブルックナーのそれを生涯の仕事の一つとして定めたそうだが、おそらく実演で聴けたらば、もっと感動的な、一層心を揺さぶられる神聖な音楽が現出し得たのだろうと思われてならない。この第4番「ロマンティック」は、ワルターの十八番の一つであり、確かに老練の棒が、余裕のある悠久の調べとなって僕たちの心に届くことは間違いない。しかし、今や僕たちは朝比奈隆やギュンター・ヴァントという、超重量級の、真のブルックナーの交響曲を知ってしまっている。その意味では、(特にコロンビア交響楽団の音が)少々軽く聴こえてしまうことが残念ではあるが、明快で推進力に富む第1楽章も、浪漫的な解釈で多少の粘りを加えた(?)第2楽章アンダンテ・クワジ・アレグレットがことに美しく、必聴だろう。

ブルーノ・ワルターは太陽だ。最晩年に至るも、音楽から湧き立つ光の神々しさと内面の温かさ。そして、どこかに僅かに漂う寂しさは祖国オーストリアへの感傷か。

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