納豆の日-またしてもショスタコーヴィチ

ショスタコーヴィチの第5交響曲、第1楽章再現部の第2主題-フルートとホルンが絡み合ってニ長調で主題を奏する部分はいつ聴いてもホッとした気持ち(癒される!)になる。先日の「早わかりクラシック音楽講座」のためにこの楽曲については相当調べたからいろいろなことが理解でき、愛着もより一層湧く。この第2主題は、すなわちビゼーの歌劇「カルメン」の有名な「ハバネラ」からの引用なのだが、「アモーレ、アモーレ(恋よ、恋よ)」とカルメンが色気たっぷりに歌いかける部分の旋律を拝借しており、とても意味深だ。若い頃から恋多き(浮気性?!)青年だったショスタコーヴィチらしく、この交響曲を書き上げている時の(新婚であったにも関わらず)愛人とやりとりした恋文が150通以上も残されているというし、状況から考えると束の間の逢う瀬を十分に謳歌したのだろうと推測できる。体制への迎合のために作られた曲であるという従来の見解、あるいはヴォルコフの「証言」で語られている「強制された歓喜」であるという作曲者自身の言葉など全くの創作で、最新の研究によるその愛人に向けての「恋愛」感情をこの音楽に託したのだという見解があながち間違っていないのではないかとついつい思えるほど、ここのフレーズは愛らしく響く。

明後日からの「人間力向上セミナー(名古屋コース)」のための準備を数時間。明日現地入りするため今日のところは静かに心を鼓舞するために「元気の出る」音楽を聴こうと棚をひっくり返していて、また「革命」交響曲を取り出す。ショスタコーヴィチの交響曲の中では最もポピュラーで、普通なら飽きやすいといわれる楽曲なのだが、性懲りもなく・・・。

ショスタコーヴィチ:交響曲第5番ニ短調作品47
小林研一郎指揮名古屋フィルハーモニー交響楽団(1999.2.18Live)

ショスタコの第5のような楽曲-苦悩から勝利へというモチーフをもつような楽曲をコバケンは得意とする。チャイコフスキーの第5交響曲然り、ベルリオーズの幻想交響曲然り、マーラーの「復活」然り。確かに実演でコバケンを聴いた時、激しい唸り声や足音にも同調して得も言われぬ感激をいつも味わうことになる。この音盤にもいつものように鬼神が乗り移ったかのような「凄み」が音楽と同時に収録されている。残念ながら僕は名古屋フィルの生音を聴いたことがないのだが、このCDを聴く限り、相当に熱い演奏だ。まぁ、オーケストラというのは指揮者の力量によって演奏そのものの質が随分変わるから、あくまでコバケンの力が8割以上なのだろうが、それにしても随分健闘している(プロの楽団だから、最初から否定的な先入観で聴いてはいけないのだが)。フィナーレのコーダのテンポもほどよく(ムラヴィンスキーよりは速く、バーンスタイン59年盤よりは遅めか)、終演直後の観衆の拍手や喚声、熱気もそのまま収録されているから、さながら目の前で小林&名フィルがLiveを繰り広げているような錯覚に陥る。素晴らしい演奏だと思う。

朝から1件カウンセリングをし、その後西新宿にある「ビストロ・コロリス」というフレンチ・レストランでランチ。洒落た可愛い造りのお店で、味も上々。

ところで、今日は「納豆の日」だという。7月10日の語呂合わせだろうが、何でも適当につけりゃいいものではない(笑)。納豆は大好物だからまぁ、いいのだけど・・・(ショスタコーヴィチも女性には納豆のようにネバネバとねちっこい性格だったんだろうな)。

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