師走にワーグナーの楽劇は似合う

大岡昇平さんがベートーヴェンの第5交響曲に辟易し、ワーグナーが大嫌いらしいということをつい最近知った。それに対して友人の音楽評論家である吉田秀和さんはベートーヴェンの第5交響曲はいわゆる西洋古典音楽の模範とする一部の隙もない最高峰だと反論するのだが、そのやりとりが書かれている1954年のヨーロッパからの帰国直後の2人のエッセイを読み比べてみると、互いに言いたい放題ながらどちらにも「なるほど」と頷ける箇所があり、やっぱり人の感性というのは一律化できなく、様々なんだということが実感できる。
ただし、そんな大岡さんでも、「わが美的洗脳」というタイトルの芸術エッセイ集を読むと、10代の頃最初に衝撃を受けた音楽がベートーヴェンの第5シンフォニーだったことを告白されており、音楽に対しての趣味嗜好が随分変化するものなんだということもよく理解できて面白い。

大岡さんにとって唯一無二の存在はモーツァルトで、一方ワーグナーについては初めからどうにも受け付けなかったよう。うーん、彼はきちんとワーグナーを聴いていたのだろうか・・・。
以下、上記エッセイ集「ワグナーを聞かざるの弁」からの抜粋。
P58
「ワグナー性交音楽論は珍しいことではなく、現在では常識の部類に属すると思っているが、これはまあどうでもいいことだ。浪漫派が感情の陰影をなぞったのと、本質的になんの違いもありはしない。だから僕はシューマンも嫌いだが、彼らの芸術のかんじんの部分はそういうところにはないだろう。模倣は芸術の数ある手段の一つにすぎない。
ワグナーのねばりっこい音色、無限旋律は一種の音楽的快感を与えるのだが、これはコンサートで聞く時に限られている。オペラとなると、どうも化かされているような気がして、反撥を感じる。
ロンドンではコヴェント・ガーデンで『ジークフリート』を聞いた。
古風な劇場の内部には様々な衣裳を凝らした紳士淑女が端然と坐っている。彼らの胃袋には早めに食べた夕飯の料理が多少のアルコールと共におさまっていて、彼らの陶然たる音楽的顔附を用意していることは疑いない。
そこへ鳴り出すのが、普通「心臓の音」(竜の心臓である)といわれる、主として太鼓の打音から成る不吉な音楽である。
音楽は場内の雰囲気を一変せしめる。人々はいやおうなしに竜の住む古代ゲルマニアに連れ込まれる。暗紅色のカーテンと淑女の露出した肩が、何かこの世ならぬ色合を帯びて見えて来る。
僕は高い金を払って、こんなものを聞きに来る聴衆というものが気の毒になった。
舞台はこれら満腹した紳士淑女諸君の生活と何の関係もない神話の世界である。竜が口をきいたり、英雄が15分間で霊剣を鍛え上げたり、いやはや馬鹿げた話である。しかし聴衆は音楽がワグナーで、自分が音楽好きである以上、ワグナーを神妙に聞かねばならぬと思い込んでいるから、我慢しているんだと察する。思わず洩れるはーっという長い溜息がその証拠である。」

なかなか興味深い60年近く前のワーグナー論だが、ワーグナーが「性交音楽」だというのは少なくとも僕の年代では聞いたことがなかったから驚き(笑)。それと楽劇そのものをどうやら否定されているようだが、ワーグナーの真髄は当然舞台にあるように僕は思うので、このあたりも首を縦には振れない(大岡さんが実際に聴かれた50年代当時はバイロイト全盛期でヴィーラントの演出の上、クナッパーツブッシュらが指揮していた時代だからそれだけでも垂涎ものなのに・・・、でも彼の書く文章を読んでみると要は聴かず嫌い観ず嫌いであえてバイロイトには行かなかったそう。もったいない)

そういえば本日のワークショップZEROでも自分の狭い概念で物事を決めつけてしまうことが、いかに自分の器を小さくしてしまうかということが少々話題になった(決めつけてしまうだけならまだしも実に優等生的で、自ら決められた枠に嵌って、そのお蔭で自分自身を見失ってしまっている人が多いというのも気になったし)。ともかく何でも「知ること」からスタートだということを再認識した。

ということで、帰宅後、何十年の眠りから覚め先年リリースされたカイルベルトのバイロイト・ライブから件の「ジークフリート」を。

ワーグナー:楽劇「ジークフリート」
ヴォルフガング・ヴィントガッセン(テノール)
アストリッド・ヴァルナイ(ソプラノ)
ハンス・ホッター(バス)
グスタフ・ナイトリンガー(バリトン)
パウル・クーエン(テノール)
ヨーゼフ・グラインドル(バス)ほか
ヨーゼフ・カイルベルト指揮バイロイト祝祭管弦楽団(1955.7.26Live)

「指環」の中でも最も室内楽的で地味な作品だが、冬の寒い夜にじっくりと耳を傾けるのに最適の深く味わいのある音楽が連綿と続く。うーん、これが「性交音楽」か・・・(笑)。「トリスタンとイゾルデ」ならまだしも「ジークフリート」を聴いてそう感じるのだからそれぞれの人の感覚というのは面白いものである(確かに「ジークフリート」の前半部分と「トリスタン」はほぼ同時期に生まれているのだけど)。
それにしてもこのカイルベルトのライブ盤は信じ難いほどの立体的で鮮明な音質を誇る。久しぶりに「指環」をDVDで鑑賞したくなった。師走にワーグナーの楽劇は似合う。

さて、明日はワークショップZERO第2日目・・・。


5 COMMENTS

雅之

こんばんは。

大岡さんの意見も傾聴に値するんじゃないですかね。
ワーグナーの音楽を「わかっている(つもりの)人」「好きな人」は、世界人口の何パーセントぐらいなんでしょう? いったいその人は偉い人なんでしょうか?
もう、どうだっていいことですよね。

ワーグナーがわからなかったって、人生損しているとは全然思いませんね。他に我々が知らない、楽しく美しく魅力的で、かつ奥が深いことは、世の中にいっぱい溢れているでしょうから。

とにかく、人間、20代前半までに何に出会うか、これで趣味嗜好の大半は決定してしまうので、悲しい現実ですけれど、それから先、新しい分野を自分のものにするのは大変ですね。これは岡本さんや私とて同じこと。同時に「バカの壁」も形成されるのです。

カイルベルトのライブ盤、私も手に入れておりますが、同感です。

しかし私も大岡さんの勇気ある発言に倣って、ベーム盤のほうが好きだと、あえて世界の5万人くらい?のマニアを、敵に回して戦うことにします。

まず最初の決戦は203高地だ! さあ、どこからでもかかってこい!!(何の影響じゃ?・・・笑)

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岡本 浩和

>雅之様
おはようございます。

>人間、20代前半までに何に出会うか、これで趣味嗜好の大半は決定してしまうので、悲しい現実ですけれど、それから先、新しい分野を自分のものにするのは大変

おっしゃるとおりですね。どんなことにでも興味をもってチャレンジしたいと日々思う今日この頃です。

>ベーム盤のほうが好きだと、あえて世界の5万人くらい?のマニアを、敵に回して戦うことにします

はい、ベーム盤も最高です!!

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