内田光子 シューベルト 楽興の時D780ほか(2001.8録音)を聴いて思ふ

よもや自分の命が残りわずかだとは思わなかったであろう最晩年のシューベルトの、いわば総決算(実際には第3番は1823年、第6番は1824年に作曲されているのだが)。ここには一見哀しみの衣装を纏った、それでいて生も死も、すべてを包括する悦びがある。
楽興の時D780全6曲。

いずれも形式にとらわれない自由な抒情的楽想の小品で、ロマン派の抒情小品の最初の現れとして、それぞれに見事な完成を示している。「第6番変イ長調」はそのなかでも最も美しいロマン的な憧憬に溢れる。
前田昭雄著「カラー版作曲家の生涯 シューベルト」(新潮文庫)P118-119

中庸の、内田光子のピアノ。
すべてが調和に向かっているのだという真実を27歳のシューベルトは捉え、そして、そのことを見事に表現した内田の腕。ただひたすら音楽だけしか感じさせない美演。いわゆる情感や思想を超えたところに真理そのものがあることを示すよう。見事だ。

シューベルト:
・ピアノ・ソナタ第7番変ホ長調D568
・楽興の時D780
内田光子(ピアノ)(2001.8.5-13録音)

シューベルトのヒーローは、間違いなく同時代を生き、その人の死に際し、葬列にも加わったというほどの憧れのベートーヴェンであるが、もう一人モーツァルトの存在も忘れてはなるまい。

・・・ぼくの一生を通じて今日の日は、明るく澄みわたった、美しい日として残るだろう。まだぼくの耳には、遠くからモーツァルトの音楽が魔法のこだまのような音をかすかに伝えてくる。何と力強く、また優しく、シュレージンガーの奏くヴァイオリンが心にしみわたったことだろう。こうして心に押された美しい刻印は、どんな時間も状況も消すことはできない。それはわれわれの存在に、いつまでも恵みをおよぼすのだ。こうして、この世の闇の中に、明るく澄みきった美しい「彼方」が開かれる。ぼくたちはそこに希望を託すのだ。おお、モーツァルト、不滅のモーツァルト、このように明るく、よりよい生命の恵みの刻印を、どんなに沢山、限りなく沢山、われわれの心に与えてくれたことだろう。・・・
(1816年6月13日)
~同上書P42

モーツァルトへの熱い賞賛の思いが、19歳のシューベルトの内側から迸る。
1817年、20歳のときに生み出されたソナタホ長調D568は、第1楽章アレグロ・モデラートから「幸福な歌」に満ちる。また、第2楽章アンダンテ・モルトの呼吸の深さは、内田の思念の鏡の如し。吸い込まれるような透明感が美しい。そして、第3楽章メヌエットの、決してダンサブルとは言えない憂愁(これぞシューベルトの魔法!)。続く終楽章アレグロ・モデラートの、内田の魂が感応する淀みのない、純粋無垢な響きに感涙(ソナタト長調D894終楽章アレグレットに匹敵する)。音楽のあっけない、さらっとした終止が何とも儚い。

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