古い録音から、滴り落ちるヨハネス・ブラームスの哀しみの涙。
いや、戦後すぐの古びた録音だからだろうリアルな慈愛と、そして未来への希望ともいうべき復興の祈りのこもった、カラヤンとは思えない粘着質の「ドイツ・レクイエム」にとても感心した。
濃厚な第1曲合唱「悲しんでいる人たちはさいわいである」に感涙。管弦楽の引き摺るような旋律の情熱的歌わせ方に、若きカラヤンの音楽に対する意気込みと深い想いを垣間見る。第2曲「人はみな草のごとく」冒頭合唱の深沈たる音調にブラームスの真の信仰心を想う。そして後半、転調し、「しかし、主の言葉はとこしえにのこる」の箇所の、合唱の壮絶なる訴えにカラヤンの音楽への並大抵でない没入と奉仕を直感し、後年のベルリン・フィルとの演奏には見られなかった指揮者の熱い才能を想う。
そして、第3曲「主よ、わが終わりと」の、ハンス・ホッターの重厚でありながら透明なバス・バリトンに安寧を覚え、管弦楽と合唱による最後のクレッシェンドを伴う盛り上がりに思わず唸る。
さらに、第4曲「万軍の主よ、あなたのすまいは」では、静かに佇む合唱に対比され、崇高な高弦が懐かしい旋律を美しく歌わせる。
・ブラームス:ドイツ・レクイエム作品45
エリーザベト・シュヴァルツコップ(ソプラノ)
ハンス・ホッター(バス・バリトン)
ウィーン楽友協会合唱団
ヘルベルト・フォン・カラヤン指揮ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団(1947.10.20-22&27-29録音)
第5曲「このように、あなたがたも今は不安がある」におけるシュヴァルツコップの可憐で自然体の慰めの歌!この時代の歌手の歌声は、シュヴァルツコップの例に限らず、本当に涙を誘うほどに美しいものが多い(ように僕は思う)。ここはこの録音の白眉でもある。
このように、あなたがたも今は不安がある。しかし、わたしは再びあなたがたと会うであろう。そして、あなたがたの心は喜びに満たされるであろう。その喜びをあなたがたから取り去るものはいない。
(ヨハネによる福音書第16章第22節)
~日本聖書協会発行「口語新約聖書」(1954年訳)
続く第6曲「この地上には永遠の都はない」における合唱の聖なる響きと、深淵から浮かび上がるようなホッター独唱の意味深さに金縛り。
ここで、あなたがたに奥義を告げよう。わたしたちすべては、眠り続けるのではない。終りのラッパの響きと共に、またたく間に、一瞬して変えられる。というのはラッパが響いて、死人は朽ちない者によみがえらされ、わたしたちは変えられるのである。
(コリント人への第1の手紙第15章第51節)
~日本聖書協会発行「口語新約聖書」(1954年訳)
終曲「今から後、主にあって死ぬ人は」合唱における永遠を思わせる息の長いフレーズと囁くような優しい音楽に、人々の安息を願う作曲者と、命を懸けて再現する指揮者の心がまるで同期するような錯覚を覚える。
いかに現世が苦悩に満ちたものであるのかを、そして僕たち人間が何かを学び、修得するためにあの世からこの世に派遣されているのだと思わずにいられない「ドイツ・レクイエム」。これほどに厳しくもあり、そして優しく安らかな鎮魂曲を聴くことは滅多にないだろう。
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