信頼に裏打ちされた独裁

mengelberg_tchaikovsky_telefunken.jpg昨日Yと「リーダーシップ論」について語った時、彼から教えてもらったダニエル・キムの「組織変革」論。組織変革においては4つの質の変革-すなわち「関係の質」→「思考の質」→「行動の質」→「結果の質」→「関係の質」→・・・、が求められるというもの。一般的にはどのリーダーもチームでの結果を出すために個々のメンバーの「行動の質」を変容することを意識し、実践しようとする。もう少し突っ込んだ考え方をしてみても、せいぜい「思考、考え方の質」を変えるよう努力することが関の山。しかしながら、僕の長年の経験上、仕事にせよプライベートにせよ人間関係の改善-つまり「信頼関係」作りがもっとも重要で、それこそが組織活性化の根本的な解決方法なのではないかと何となく考えていたものだから、この話を聴いて即座に納得した。
リーダーと部下、同僚同士、対顧客関係、夫婦関係、友人関係、親子関係、そのどれもの根底に必要な要素は「信頼」だ。結局人は信頼できる人についていくものだし、信頼できる人の言うことを聞くものなのだ。リーダーシップとはいかに「信頼関係」を築き、良い関係を維持できるかが大きなポイントであるように思う。

かつて、クラシック音楽業界でも、指揮者とオーケストラの関係は上記のような深い絆によって確固たるものが築かれていたのではないかとふと考えた。古くはメンゲルベルク&アムステルダム・コンセルトヘボウ管、ムラヴィンスキー&レニングラード・フィル。ちょっと前ではカラヤン&ベルリン・フィルもそうだろう。さらには日本の誇る巨匠、朝比奈隆&大阪フィルもその例のように思う。彼らの多くは世間的には「独裁者」といわれた(朝比奈先生の場合はちょっとニュアンスが違うが)。確かに罵声の飛び交う厳しいリハーサルなどをみると、表面上は「独裁」と映るのかもしれないが、「信頼関係」に裏打ちされたものでない限り何十年も続くものではない。おそらく舞台裏や日常生活の中で酒を酌み交わしながら腹を割ったコミュニケーションができていたのではないだろうか。

ところで、チャイコフスキーの「悲愴」は名曲中の名曲だと思うが、最近はほとんどといっていいほど聴かなくなった。とはいえ、たまに音盤を繰り、第1楽章第1主題が流れ始めるとその甘美な世界に一気に惹き込まれてしまう(たとえそれがどんな演奏だろうと)。
僕が初めて買った「悲愴」のLPはフルトヴェングラーのグラモフォン盤だった(高校生の頃で何も音の悪い昔のレコードを買うこともないのだが、フルトヴェングラーにかぶれていた頃で、帰宅するなりステレオの前で涙したものだった)。当時、僕の友人はメンゲルベルクの指揮した音盤を圧倒的に支持しており、まぁいいから聴けということで貴重なレコードを貸してくれたことを思い出す。確か当時ロンドン・レーベルから出ていた廉価版のMZシリーズの1枚で、他にフルトヴェングラーのフランク「ロマンティック」、など貴重な録音が¥1,200で手に入れることができた。

チャイコフスキー:交響曲第6番ロ短調作品74「悲愴」(1937年録音盤)
ウィレム・メンゲルベルク指揮アムステルダム・コンセルトヘボウ管弦楽団

メンゲルベルクによるチャイコフスキー「テレフンケン発売録音集大成」と銘打った4枚組CDが1994年に突如発売されたが、そのうちの1枚。懐かしの録音を久しぶりに耳にしてその時代がかった大袈裟な解釈にあらためて感激し、メンゲルベルクの「悲愴」はやっぱり不滅だと認識させられた。SP盤からの直接の復刻だから決して音は良くない。しかしながら、まったくもって鑑賞には耐えうる音質で、スピーカーを前に何十年も前のACOの奏でる音楽が時空を超越して鳴り響く様は圧巻である。極端に揺れるテンポ、そしてメンゲルベルクのトレード・マークであるすすり泣くような弦のポルタメント奏法。どこをどう切り取ってもこれ以上の演奏は考えられないほどだ。戦前の古き良きヨーロッパが醸し出す雰囲気までもがものの見事に音盤に刻まれており、録音から70年以上を経た今でも音楽を聴く楽しみが十分に味わえるところが奇跡である。

今夜は神田にある「旬菜旬魚・身八つ」でAと初めてサシで飲んだ。NLPやらMBAやら勉強好きの彼の話は極めて論理的で、僕が感覚的に掴んできたことをきっちりとキャッチアップしてくれる。よし。

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