拙ブログ「アレグロ・コン・ブリオ」は2007年5月8日にスタートした。あれから4年と5ヶ月弱。我ながらよく続いているものだと感心するが、そもそも基本的に感情を表に出さない僕がせめて日々思ったこと、感じたことを日記風に綴っていこうと新たな生活が始まったことをきっかけに始めたことだった。要は私小説風の音楽日記。ゆえにもってまわった意味不明の言い回しが時にあったり、独断と偏見で勝手な言い分を披露したり、本当に書きたい放題書いてきた、その程度のモノである。それでも、これだけ長い間ほぼ毎日記事をアップすると見ていただいている人もそれなりに増えているようで、素敵なコメントをいただくことが楽しみの一つになっているのだから「継続する」ことの大切さを再確認している。
第1章、2007年5月8日~2008年12月8日、正味556記事。第2章が翌12月9日~2011年3月5日の772記事。そして第3章はその翌々日から昨日まで(192記事)脈々と書き継いできたが、章変えをするその時々に避けられない様々な事情・出来事があり、自分で言うのもおかしいが、まさに波乱万丈。人生の「結び」の時期にいよいよ入るのか?!などと勝手に空想しているが(笑)、ともかく本日より第4章に突入することにする(まさに「起承転結」という4部構成の形になりそう)。
ということで、ここは先例に倣って「マタイ受難曲」。
21年の時を経て、リヒターが再録音した「マタイ」は、旧盤の近づき難い威厳とは裏腹の心身に優しい「マタイ」である。要はとっつきやすいということ。3時間以上を要するキリスト受難の宗教音楽ゆえ、そもそも日常的にのんびりと聴けるものではないのだが、この新盤についてはその意味で非常に気安い(だからぼーっと過ごしたいときにはもってこいで、時折あえてこちらを選択して聴くことが多いかも)。
いかに天から知恵を借りて創造しているとはいえ、芸術とは所詮人間が作ったもの。受難曲が”Passion”という以上「パッション(情念、情熱)」という意味合いを併せ持つはずだから必ずしも「聖なる」表現がすべてではなかろう。あまりに人間っぽいバッハの宗教音楽ということで僕はとても好き。
今日は新月。さてさて、第4章のはじまり・・・。
第4章突入、おめでとうございます。
山のない人生も谷のない人生もありません。山も谷もないと豪語するのは気付いていないだけ。ある意味、つまらない人生です。人間は無いものねだりで、勝手なもので、比較的平穏な状態になると、谷の時期が恋しくなるものです。
これからも、日々思うところを、臆することなく、伝えていってください。
>EBJ様
こんばんは。
ありがとうございます。
人生すべて贈り物ですね。
反省しつつ前向きに生きようと思います。
[…] この大シンフォニー作曲当時のラフマニノフは、決して状態が良いわけではなかったらしい。時に自信を喪失し、無気力になってしまう。そんなときに決まって彼は外国の音楽、巨匠の音楽に救いを求めたという。例えば、ヘンデルの「サムソン」、ベートーヴェンの「荘厳ミサ曲」、あるいはバッハの「マタイ受難曲」など・・・。 ラフマニノフが求めた心の安息がこれらの大宗教音楽を体感することによってもたらされ、かの第2交響曲作曲の大いなるエネルギーになったとしたならば、荒廃した現代においていわゆる古典音楽の巨匠たちの音楽を享受しないというのは何ともったいないことか(大袈裟だけど、そういう意味合いも込めて僕は「早わかりクラシック音楽講座」を開催してもいる)。 […]
[…] き第5章に入る。 さて、イマジネーションを掻き立てる音楽は何か?ここはやっぱり「マタイ受難曲」。 最新のラトル&ベルリン・フィルによるBlu-ray(この映像は実に興味深い。早く鑑 […]