朝比奈隆指揮大阪フィル ベートーヴェン第3番「英雄」(2000.7.23Live)ほかを聴いて思ふ

朝比奈隆の、東京はサントリーホールでの最後のベートーヴェン「英雄」交響曲の記憶は正直ほとんどない。
久しぶりに、当時のコンサートの記録をひもときながら気がついた。
それは、ほとんど作品しか感じさせない、孤高の境地にあった。
あらためて実況録音を耳にして僕は、ただただ驚いた。

最晩年の朝比奈の棒は、より若々しくなっていったことは間違いない。しかし、テンポや造形が単に活気に溢れているというのでもない。指揮者やオーケストラの色がほとんどなくなり、音楽が純化され尽くしているのである。第1楽章アレグロ・コン・ブリオだけで20分超(提示部の反復はあるが)の「英雄」という結晶体の凄み。冒頭の2つの和音の大音響の何と有機的なことか。

「青天の霹靂」というのがあるでしょう、何もないところに突然大きなことが起こるという意味の。第1楽章の最初の2つの和音はそんな感じですね。これは非常に大きな迫力を持つ必要があります。だけども、前に何もないところへ全員でドンと出るわけですから、わりに合いにくい。ですから、とにかく思い切ってやります。こういうところはベートーヴェンはさすがにうまく作っていますね。はっきりした印象を与えておいて、それから小さい音で悠々と自然にテーマを始めていくわけですから。
朝比奈隆+東条碩夫「朝比奈隆 ベートーヴェンの交響曲を語る」(音楽之友社)P52

堂々とした造形の中にある、絶妙な揺らぎ。
ベートーヴェンの革新の魂が洋々と鳴り響く様。特に、コーダ以降に充ち溢れる喜びの念!
トランペットの主題を朝比奈は、一時期楽譜通り木管パートに奏させていたが、このときはワインガルトナーの提唱通りの改変版に戻っている点が興味深い。

私も一応この主題が完結する666小節までは、トランペットに主題を吹かせるようにしています。できるだけスコアに忠実にやろうなどと言っているわりには、どうも看板に偽りありみたいですが、まあそこまで意地になることもないでしょう。
~同上書P54-56

朝比奈らしい臨機応変さ。この実験精神こそが、彼が最後までベートーヴェンを尊敬し、交響曲を演奏し続けた(終わりなきベートーヴェンの旅)原動力なのだと思う。

ベートーヴェン:
・交響曲第3番変ホ長調作品55「英雄」(2000.7.8Live)
・交響曲第3番変ホ長調作品55「英雄」(2000.7.23Live)
朝比奈隆指揮大阪フィルハーモニー交響楽団

そして、18分半に及ぶ第2楽章葬送行進曲の、朝比奈自身の言葉通りの哀愁の表出(ちなみに、7月8日、大阪でのコンサートのときはより遅く、19分20秒!)!!

第2楽章は、これはアダージョ・アッサイですから、考えられる範囲の、非常に遅い、荘重なテンポが望ましい。ゆっくりしたテンポで押し通していけば、ものすごく哀愁に満ちた音楽になる。ただ、それにオーケストラが耐えられるかどうかが問題ですが。
~同上書P59

大阪フィルの余裕に脱帽。それほどにこの楽章は音楽に血が通う。
さらには、第3楽章スケルツォを経て、終楽章アレグロ・モルトの、下手をすればこせこせとスケールの小さなものに陥りがちの音楽を、これほどまでに巨大に構築できる力量こそ、最晩年の朝比奈が遂に至った境地の証。本当に素晴らしい。

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