朝比奈隆指揮大阪フィル チャイコフスキー交響曲第4番(1990.10.5Live)を聴いて思ふ

遊びのない、真正面からの、朝比奈隆のチャイコフスキー。
正統派というのとはちょっと違う。ならば、ドイツ風と表現するのが良いのかもしれない。
しかし、彼の十八番のベートーヴェンとは確実に違う、動きのある、ロシア的な、冷たい、民族性を意識したロシアとドイツの折衷のような造り。
とはいえ、根底にはベートーヴェン的精神が流れる。朝比奈本人がいうように、ベートーヴェンをお手本にした交響曲であるなら、その方法は間違いなかろう。

チャイコフスキーの交響曲の中で、やるとすれば〈悲愴〉。これをちゃんとけいこして。どこのオーケストラでもあの曲を弾いてないところはないから、練習を2日もすれば、いい形ができます。
いちばんいいのは、この〈悲愴〉でしょう。〈5番〉まではやはりベートーヴェンのコピーという部分がありますから。
それはしょうがないですよ、お隣の国の大先輩で、ロシアというのは一歩遅れた国だから、ドイツ音楽を勉強していけば行き着く先はベートーヴェンになる。

朝比奈隆「指揮者の仕事♯朝比奈隆の交響楽談♭」(実業之日本社)P40-41

朝比奈隆17年ぶりの交響曲第4番ヘ短調作品36。
「闘争から勝利へ」というベートーヴェンのモットーをなぞらえたような、それでいて第1楽章アンダンテ・ソステヌートが巨大過ぎる、暗く、アンバランスな交響曲は、直前の結婚の破局などから生じる苦悩を表現し、そしてパトロンとなるフォン・メック夫人との出逢いを示唆するようだ。

1877年5月1日、彼はメックに3000ルーブルの借金を申し込み、〈冬に書きはじめた交響曲を捧げたい・・・この曲にもっとも奥深い思想と感情のエコーを発見すると思うから〉と書いた。現金が必要なとき、まだ未完の交響曲を捧げると約束する。彼女の巨万の富の一部と、自分の富=芸術作品の交換をもちかけたのである。さらなる取引への契機とパトロンに示唆したかったのか、詳しい返済計画も記している。夫人は翌日「これからたよって・・・返済は考えないで」とすぐ応じた。神のように崇拝する作曲家に、借金づけの実情はふさわしくないと感じたのだろう、メックは編曲などでお金を返すと書いた作曲家に、二度と編曲を頼まなかった。
伊藤恵子「作曲家◎人と作品シリーズ チャイコフスキー」(音楽之友社)P100

メック夫人の毅然とした姿勢が、その後のチャイコフスキーの一層の成功を促したであろうことを物語るエピソードだ。

・チャイコフスキー:交響曲第4番ヘ短調作品36
朝比奈隆指揮大阪フィルハーモニー交響楽団(1990.10.5Live)

冒頭金管によるファンファーレから音色はいかにも暗いが、堂々たるもの。
深沈とした、テンポの遅い主部が、(朝比奈の言葉通り)まさにチャイコフスキーの心のうちを表現するようで素晴らしい。

彼の交響曲は純音楽の世界というよりも文学的、標題音楽的な外向性の音楽である。したがって内容や感情の表現についてはベートーヴェンやブルックナーとちがって、演奏する者の主観的感情を盛りこんでゆかざるを得ない。
(朝比奈隆)
PCCL-00112ライナーノーツ

第2楽章アンダンテ・イン・モード・ディ・カンツォーナの寂寥感。朝比奈は音楽に感じ入り、没頭する。そして、第3楽章スケルツォ・ピッツィカート・オスティナートは、指揮者というよりオーケストラの本領発揮。
白眉は終楽章アレグロ・コン・フオーコ!!
疾風怒濤、阿鼻叫喚のこの楽章は、実演をもってしてその本領発揮となるが、この日の朝比奈の演奏は、実に動的、劇的。そして、音楽に隅から隅まで心がこもる。

音楽をどう聴けばいいんですか? 楽しみ方のコツがあるんですか? そんな質問を受けることがありますが、そういうときは僕は、こういうふうに答えているんですよ。
「目をつぶって聴くんですな、そうして眠くなってきたら、そのまま寝るんですな」と。

~同上書P9

いかにも朝比奈隆らしい箴言。
音楽はその字の通り楽しむもの。ただひたすら感覚的であれ。

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