朝比奈隆指揮大阪フィル ベートーヴェン第7番(2000.9.24Live)ほかを聴いて思ふ

そのあまりの巨大さに辟易することがある。
楽譜に書かれたすべてを演奏するという信念の下、朝比奈隆は舞台に立ったが、時にそれが仇となり、緩慢な、集中力に欠ける音楽を生み出すことが多々あった。
交響曲第7番イ長調作品92は、朝比奈隆が得意とし、幾度も舞台にかけた作品だが、筆舌に尽くし難い名演奏のときもあれば、箸にも棒にも引っかからない凡演(?)になったこともあった。

内声部の動きをいつも重要視することの意味を問われたとき、朝比奈は次のように答えた。

重要視といったって、書いてあるものはちゃんとやらなきゃいけないわけですから。こんなもの目立たないからってムニャムニャいい加減に弾くと音楽が生きてこない。
朝比奈隆+東条碩夫「朝比奈隆 ベートーヴェンの交響曲を語る」(音楽之友社)P145

至極当然の返答である。あるいは、リピート指示をすべて順守することについて彼は次のように語るのである。

抜いたところは一つもないと思います。たしかに私自身、もう一度やるのは長いなという感じを持たないわけではないんですよ。それには二つ理由がある。まず、実際に時間的に長い。「英雄」の第1楽章のリピートなんかそうですよ。せいぜい3分か4分くらいなものなんですけどね、まあ長い。
もう一つは、今まで(リピートを)やっていた人が少なかったからということです。何となく、皆がやっていないのに自分だけやるのは・・・というためらい。

~同上書P148

それでも彼はある時点から芸人としてすべてをやり切らなければならないという結論に達したようだ。

一ぺんやった芝居をもう一ぺんケロッとしてやれるくらいの芸人にならなきゃしょうがないでしょう。
~同上書P150

2000年のツィクルスから大阪はザ・シンフォニーホールでの一夜の記録。
第7番ニ長調作品92は、朝比奈渾身のベートーヴェン。終楽章アレグロ・コン・ブリオの老練の興奮(?)が素晴らしい。

興奮させられる音楽ですな。要するに、同じことを反復するというのは、ものすごく人を興奮させますのでね。
~同上書P169

朝比奈隆の楽譜に書かれたリピートのすべてをやるというポリシーは、聴衆に興奮と歓喜を呼び起こすことがわかっていての意図された職人芸なのだろう。

ベートーヴェン:
・交響曲第7番イ長調作品92(2000.9.24Live)
・交響曲第7番イ長調作品92(1999.1.31Live)
・序曲「レオノーレ」第3番作品72b(1995.11.17Live)
朝比奈隆指揮大阪フィルハーモニー交響楽団

それにしても2年近くの時間が、朝比奈に及ぼした体力、気力への影響は、計り知れないものがあることを2種の録音が物語る。音楽の生命力は、間違いなく1999年1月31日、京都コンサートホールでのものが上回る。第1楽章序奏ポコ・ソステヌートから弾力のある激しい音。第2楽章アレグレットは理想的なテンポで流れが良い。そして、第3楽章スケルツォを経て、終楽章アレグロ・コン・ブリオは、見事にリズムの興奮の極み。

特にこの「第7番」の場合は、どの楽章もリズムでできているといわれて、本当にそのとおりなんですが、これに変なアーティキュレーションをかぶせてしまうと、角がとれて―角があってこそ面白いのに、角がとれて円満な人になってしまう。
~同上書P143

朝比奈の言い回しは相変わらず面白い。なるほど、人工性はベートーヴェンの音楽を破壊するので、武骨に、そして愚直にやれというのだ。

なお、一層素晴らしいのが、付録の檄するレオノーレ序曲第3番!!
音楽は常に動き、慄き、うねる。嗚呼!

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