オイストラフ、ロストロポーヴィチ、リヒテル カラヤン指揮ベルリン・フィル ベートーヴェン三重協奏曲(1969.9録音)ほかを聴いて思ふ

1804年9月頃、ベートーヴェンは、かつてピアノの教え子であったヨゼフィーネ・ダイム伯未亡人(旧姓ブルンスヴィク、この年1月27日夫のダイム伯死去)と再会し、再び親密な関係になったといわれる(ちなみに、1806年まで、二人の間では幾度もの手紙が交わされ、そのやりとりには互いの熱烈な求愛が表現されているが、結果としてその愛は長く続くことはなかった)。

ところで、ベートーヴェンが三重協奏曲の作曲を始めたのは、1804年3月か4月頃のことだとされる。ロプコヴィッツ侯爵邸でその年5月末か6月初めに試演されることが決まっていたので、最後はかなり急いで仕上げられたのだとか。
しかし、三重協奏曲は、その後も推敲が重ねられ、最終稿の完成はようやく1806年末のこと。偶然かもしれないが、これが、ヨゼフィーネ・ダイム伯未亡人との恋愛の期間と一致しているのが興味深い。

革新的な傑作を世に送り出すベートーヴェンが、なぜこんなものを書いて発表したのかといわれるほどの凡作(?)だが、百戦錬磨の奏者たちによる奇蹟のアンサンブルで聴くと決して凡作凡演に聴こえないのだから不思議。

・ベートーヴェン:ヴァイオリン、チェロ&ピアノのための三重協奏曲ハ長調作品56
ダヴィッド・オイストラフ(ヴァイオリン)
ムスティスラフ・ロストロポーヴィチ(チェロ)
スヴャトスラフ・リヒテル(ピアノ)
ヘルベルト・フォン・カラヤン指揮ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団(1969.9.15-17録音)
・ブラームス:ヴァイオリンとチェロのための二重協奏曲イ短調作品102
ダヴィッド・オイストラフ(ヴァイオリン)
ムスティスラフ・ロストロポーヴィチ(チェロ)
ジョージ・セル指揮クリーヴランド管弦楽団(1969.5.12&13録音)

何とグレン・グールドが同業者で唯一天才と認めた人が、ここでピアノを弾く。
そして、グールドが共感した映像作りに時機を見出していた人が指揮をする。

他方、第2のカテゴリーに属する演奏家たちとは、演奏のメカニカルな問題をそっくり迂回して、自分と楽譜とのあいだに直結の経路があるという一種の幻覚を生み出そうとし、ひいては、聴き手に対しては、参加の感覚―演奏そのものに参加している感覚ではなく、むしろ、音楽そのものに参加している感覚―を味わってもらおうとする者たちです。そして思うに、今日、第2のカテゴリーに属する音楽家の例として、スヴャトスラフ・リヒテルの右に出る人はいません。
ジョン・P・ロバーツ編/宮澤淳一訳「グレン・グールド発言集」(みすず書房)P54

グールドが認識するに、リヒテルは作曲家の意志と同期できる唯一の天才だというのである。彼の言葉が正しいのなら、それだけでこの演奏はベートーヴェンの魂とつながる名演奏だということだ。

あるいは、グールドは、カラヤンについてかく語る。

批評家たちは、カラヤンとは、フルトヴェングラー型というよりは、トスカニーニ型の、本人の自我よりも楽譜の利益に奉仕する冷淡な直解主義者にほかならないと考えてきました。ところがこの見解も的確ではありませんでした。何しろフォン・カラヤンの自我は—実力派の音楽家はみなそうですが—無視できない力であり、それは特定の作品に関わる演奏法の伝統を葬り去るのに十分なもので、カラヤンの実に並みならぬ個性を刻印し、さらには、彼の伝統主義者の怒りを買いましたし、ストラヴィンスキーのように、作曲家が実際に居合わせてその演奏を聴いた場合は、その作曲家の怒りを買い、それについて書かれもしたのです(ストラヴィンスキーが反発したのは《春の祭典》においてカラヤンが不敵にも行使した黙考的で反打楽器的な処理でした)。
~同上書P60

グールドのカラヤンへの指摘は、まさに自分自身への批評と言っても良いだろう。カラヤンの方法には、ツボにはまれば、たとえそれが伝統にのっとったものでなかったとしても、聴衆の心を掴むだけの「無視できない力」があった。

第1楽章アレグロに刻印される、動的な、力いっぱいの喜び。チェロを、そしてヴァイオリンを支えるリヒテルの強靭なピアノ、何よりカラヤン指揮ベルリン・フィルのエネルギッシュで無駄のない有機的な(?)伴奏に感激せざるを得ない。
とはいえ、僕が最も感銘を受けるのは第2楽章ラルゴの、安らぎの音楽。ヴァイオリンもチェロも、もちろんピアノも、愛情たっぷりの音を奏で、見事な調和を示しつつ、聴く者に癒しを与えてくれる。また、終楽章ロンド・アラ・ポラッカの、オイストラフの独奏ヴァイオリンが生き生きと、ことに美しい。

ちなみに、ブラームスの二重協奏曲については以前書いたので割愛する。

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4 COMMENTS

桜成 裕子

おじゃまします。このCDを聴いてみました。初めて最初から最後まで聴きました。
オイストラフ、ロストロポーヴィチ、リヒテルというロシア3大巨匠の揃い踏みにカラヤン・ベルリンの伴奏という空前絶後のような組み合わせではないでしょうか。一緒に演奏できていかにも楽しそうなロシアの3人と、前で何か深刻な他の事に気を取られているようなカラヤン(カラヤンの笑っているところを見たことがないような…)の写真が面白いですね。ベートーヴェンにチェロ協奏曲はない、と思っていましたが、1つだけチェロとオーケストラの曲があったのですね。
 ベートーヴェンらしからぬ凡作とのことですが、なるほど、丁々発止の緊張感や胸に迫るようなドラマチックさもなく、同じメロディーを各楽器が順番になぞったりして、仲の良い素朴なかんじの曲ですね。どこかシューベルトを思わせるような雰囲気がします。ベートーヴェンがなぜこんな曲を書いたのか私なりに考えてみました。このころ、ベートーヴェンはここで書かれているように、ヨゼフィーネにぞっこんで、ブルンシュヴィク姉妹の家を訪れて「音楽の夕べ」を開いて、みんなで演奏したり、演奏を聴かせてうっとりさせていたりしています。ヨゼフィーネはピアノを演奏したそうです。この曲のピアノパートが簡単なのは、ピアノの弟子のルドルフ大公のためと考えられているそうですが、ヨゼフィーネのためではないでしょうか。(同じころ、ベートーヴェンはワルトシュタイン・ソナタの2楽章として書いた「アンダンテ・ファヴォリ」をヨゼフィーネにあげて「あなたのアンダンテ」と呼んでいます。)ズメスカルやシュパンツィヒらと一緒にアンサンブルを演奏して楽しんでいたブルンシュヴィク家のミュージックパーティ。そのための曲だから、素朴で他愛なく親密な曲になったのでは?と思えてしかたがありません。オーケストラもいたのかが疑問ですが…  この曲を聴いてこのような想像をさせてくださってありがとうございました。

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岡本 浩和

>桜成 裕子 様

素晴らしい想像力です!
僕も音楽を聴きながら勝手に空想すること多々です。(笑)
ベートーヴェンについては知られていないこと、わからないことがまだまだたくさんありますから、特に空想は楽しいですよね。

こちらこそいつもありがとうございます!

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桜成 裕子

岡本 浩和 様

お言葉に甘えていらぬ蛇足を書いています。ここにヨゼフィーネとの関係について、「結果としてその愛は長く続くことはなかった」とありますが、2018年に出版されたJohn Klapprothという人の本によると、この人は不滅の恋人はヨゼフィーネだと思っていて、彼女への恋文と不滅の恋人への手紙に使われている言葉の共通性や、プレゼントしたピアノ曲「アンダンテ・ファヴォリ」と歌曲「遥かなる恋人に寄す」の旋律の類似性、「嘆きの歌」のピアノソナタ31番の作曲がヨゼフィーネの死の直後に始まっていること、プラハからテプリッツへの馬車道で同じようにひどい目に遭った「エステルハージ」がブルンシュヴィク家にかなり近い人物だったこと、姉テレーゼの日記等からその証拠を挙げています。そして驚くことに、1812年の手紙の中の「月曜と――木曜、この日だけ、ここからKへ郵便馬車が出るのです」のKは恋人がいる街ではなく、そこを通過した先にある場所で、そこにいたのがまさにヨゼフィーネだった、と言っています。こんなことを言い出す人が出現しようとは、さすがベートーヴェン、無限に空想を許してしまう人なんですね。ありがたいやらうらめしいやらです。失礼しました。

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岡本 浩和

>桜成 裕子 様

貴重な情報をありがとうございます。なるほど、そう言われてみるとそんな気がしないでもありません。
おっしゃるように様々な可能性を見出すことができるという意味で、ベートーヴェンは懐が深いのでしょう。(笑)

というか、世界にはたくさんのベートーヴェン・フリークというか研究者がいるとも言えます。
さすがです。

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