スーク スメタナ四重奏団 モーツァルト 弦楽五重奏曲第6番K.614ほか(1981.6録音)を聴いて思ふ

モーツァルト最後の年。
いずれの作品にも希望があり、凝縮された美に溢れる。
人生の大半を「旅」で送っていたモーツァルトの音楽には移ろいがある。それは、神童と呼ばれた頃からのものだ。職を求めての移動は、彼にどれほどの心身の疲労を与えたことだろう。しかし、それよりも旅先で見た光景、心象が作曲のインスピレーションに及ぼした影響の方がほるかに興味深い。彼の音楽には「幅」がある。受け手の感性によって、「見えるもの」が違うのだ。

モーツァルトの作品が、後世の人々に与えた影響は計り知れない。
例えば、モーリス・ベジャール版「魔笛」。

1982年秋、モーリス・ベジャール率いる二十世紀バレエ団の日本公演で、私ははじめてこの「魔笛」に出逢った。それは私にとって、ほんとうにはじめての豊かな《魔笛》体験であった。もちろん、これまでにも何度かオペラ「魔笛」を観たことはあったし、あのイングマル・ベルイマンによる、幕が進むにつれてどんどんと舞台がその奥行きを深めていくような映画版「魔笛」も印象に残ってはいるけれど、モーツァルトの「魔笛」がこんなにも多くのことを語りかけてくれたのは、このベジャール版がはじめてだった。
(河原晶子 モーリス・ベジャールの「魔笛」)
「モーツァルト 18世紀への旅 第5集「ロマン」の先駆け」(白水社)P134

河原さんのこの文章に触れて以来、ベジャール版「魔笛」を観ることは僕の悲願だった。一昨年ようやく鑑賞することのできたそれは、懐の深い、そして読みの深い、素晴らしいバレエだった。

晩年になってある意味抽象度を増すモーツァルトの音楽には、あらゆる感情が刻印される。そして、内なる物語も多様。河原さんは次のように書く。

タミーノとパミーナはスタンリー・キューブリックがあのSF映画の傑作「2001年宇宙の旅」のラストで描いたような、まったく新しい宇宙から誕生した新しい男と女なのだ。ここに至って、ベジャールがこの作品のために用意した《何もない空間》が、じつは大いなる宇宙の象徴だったことに気がつくのである。モーツァルトが古代エジプトの神殿を舞台に作りあげたこの物語は、今新たなる宇宙の物語にまで変貌をとげたのだ。
~同上書P135

今から35年も前に、こういう見解に至った河原さんの審美眼に舌を巻く。
モーツァルト最後の年の作品は縦横無尽だ。
例えば、弦楽五重奏曲変ホ長調。
1791年4月12日完成。音楽は簡潔にして、一切淀みがない。

モーツァルト:
・弦楽五重奏曲第2番ハ短調K.406(516b)
・弦楽五重奏曲第6番変ホ長調K.614
ヨゼフ・スーク(第1ヴィオラ)
スメタナ四重奏団
イルジー・ノヴァーク(第1ヴァイオリン)
ルボミール・コステツキー(第2ヴァイオリン)
ミラン・シュカンパ(第2ヴィオラ)
アントニン・コホウト(チェロ)(1981.6.15-21録音)

ちなみに、本音盤の解説にはこうある。

当時すでに健康を害し経済的にも泥沼状態にあったにもかかわらず、この曲は規模こそ小さいが晩年特有の清澄さを湛え、すでに死を悟りそれを超越したかのような明るさに溢れている。
(結城亨)

いや、違うだろう。
死の8ヶ月も前の作曲である。この時点でモーツァルトに死の意識があったとは僕には思えない。ハイドン的だといわれる構成や音調も、先輩に対するオマージュというより、もっと現実的な、お金を得るためのテクニックの一つではなかったのだろうかと思えるのだ。美化せず、ただありのままを見る。モーツァルトとはいえ、一個の人間なのだから。

第1楽章アレグロ・ディ・モルトのシンプルで可憐な響きに感銘を受ける。スークも四重奏団もひたすら音楽に寄り添い、モーツァルトの味を噛みしめるようだ。第2楽章アンダンテの静かで優しい旋律の美しさ。第3楽章メヌエット,アレグレットの脱力の喜び、そして終楽章アレグロには、心の開放があり、そこには苦悩はない。モーツァルトはどんな状態にあっても楽観主義者だったように僕は思う。

激しく、そして暗い(心の)闘争をほのめかす弦楽五重奏曲第2番ハ短調K.406(516b)がまた絶品。父レオポルトの死を経験する1787年春作曲。音楽に内在する力の何と強いことか。

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